ジョンソン米大統領は、発言の順番になって準備した原稿を机の上に置き、マルコスに向けて即興の演説を始めた。「平和は無料で与えられるものではありません。机の上で得られるものでもなく、礼儀だけで達成されるものでもありません。平和は勝ち取るもので、対価を払わねばならないものです。そして、対価を払うことを決心し、行動することによってのみ、平和は得られるものです」
ジョンソン大統領は参戦7カ国首脳会談の目的を想起させ、ベトナム戦に臨む米国の決意を明確にした。フィリピンの新聞は夕刊に、朴正煕大統領を「タカ派の頭」、「戦争を煽る戦争狂」などと書き、ベトナム派兵を非難する記事を載せた。マルコスは夕方に開催された晩餐会でも朴正煕大統領を意識的に無視する行動を続けた。
翌日25日の午前11時から予定になかった第3次本会議がマラカナン宮の小会議室で開かれた。各国首脳が通訳1人だけを帯同した非公開会議だった。ジョンソン大統領が各国に兵力増派を要請、説得する会談だった。会談は午後2時過ぎに終わった。会議室の扉が開かれるや、背の高いジョンソン大統領が朴正煕大統領と腕を組んで満面に笑みを浮かべてゆっくり歩いて出た。
豪州、ニュージーランド、タイは援助と兵力増派に同意したが、フィリピンは工兵と医務支援以外の戦闘任務は絶対不可を固守した。そのため韓国は最善を尽くして支援する国家として評価された。それでジョンソン大統領は会談場を出るとき韓国に感謝を表したのだ。午後、4回目の会議の後、7カ国の首脳がベトナム問題の解決とアジア太平洋地域諸国間の紐帯強化と共同繁栄のための原則を明らかにした共同声明、共同宣言、自由の宣言の三つの文書に署名、発表した。
朴正煕大統領は26日、帰路につき午後、金浦空港に到着した。朴大統領は到着声明を通じ、「世界史の中心舞台は、われわれが住んでいるこの地域に移りつつあり、われわれの足取りが世界史に残されつつあります。他者から助けを受けてきた我々も、いまや隣人を助ける成年国家に発展したからです」と言った。
ジョンソン大統領夫妻は、マニラ首脳会談が終わってから、ベトナム、タイ、マレーシアを訪問、韓国を訪問するため10月31日の午後、金浦空港に到着した。韓国政府はジョンソン大統領夫妻と一行を大々的に歓迎した。数十万人が沿道でジョンソン大統領一行を熱烈に歓迎した。朴大統領と陸英修夫人が金浦空港からジョンソン大統領夫妻と同乗し、ソウル市庁前の市民歓迎大会場まで24キロメートルを移動するのに2時間45分もかかった。米国大統領が訪問する国でしばしば「ヤンキーゴーホーム」のような反米デモを経験した米国記者団は、韓国での熱烈な歓迎に驚いた。ジョンソン大統領夫婦が泊まったウォーカーヒルホテルに行く道路も、未舗装道路を一夜で、アスファルトで舗装したほど準備した。
11月1日、青瓦台で韓米首脳会談が開催された。韓国側は第2次経済開発5カ年計画と国防現況及び軍援などを説明し、米国が支援を増やすよう要請した。ジョンソン大統領は韓国の経済発展と政治的安定に満足を表した。会談後、両首脳はソウル駅から専用列車で韓国陸軍26師団など前方部隊を視察した。ジョンソン大統領は続いてヘリコプターで駐韓米軍を視察し、また京畿道華城郡台安面の農村を視察し、夕方にウォーカーヒルで朴正煕大統領夫妻を招待して晩餐を施した。
(つづく)