在日は「やれば出来た」という人が日本人よりかなり高い比率で居ると感じます。まあ、私もその内の一人でした。会計士試験も受けたら通っていたさ、などとかみさんに言ってました。するとかみさんは「生活が出来ないから資格をとって」と迫ってきました。言うんじゃなかったと思いましたが、言った手前、「しようがねえなあ」と勉強して、幸いにも合格しました。
一年目は落ちました。十三時間勉強しました。あと一時間やったら通る、と見えていましたが、十四時間勉強すると次の日は疲れが出て七時間しか勉強できません。合計で二十一時間です。十三時間を続ける方が効率が良いので、十三時間を続けました。自分としてはこれ以上できないという体力の限界までやりました。落第したとき、合格した仲間に嫉妬の念が湧くかと思いましたが、逆でした。俺があれだけやってできなかった試験にこいつらは受かっている。すげえ、と心の底からそう思いました。そして悟りました。負けて口惜しいとか、涙が出たりするときというのは、自分の限界まで頑張っていないときです。燃え尽きるぐらい頑張って負けたときは、相手を凄いと思う感情しか湧きません。口惜しいとか、いまに見てろとかの感情は湧きません。負けて涙が出るうちはまだ努力が足りないと言えます。
こうした経験から「やれば出来た」というよりは「やったけど出来なかった」という方がはるかに美しい、と思うようになりました。
在日の二世の長男や、いまが最悪と思う人たちに言いたいのは、やりたかったことや、やり残したことがあるなら、残り僅かの時間であっても、チャレンジしてから死んだ方が良いということです。常識的にはできないでしょう。しかし「やれば出来た」と自尊心を誤魔化して満足させるよりも、「やったけど、やっぱり遅かったわ」といって死ぬ方が人間としてはるかに美しいと私は思います。
私はもともと理系の学科が好きだったし得意でしたが、高校の時に数学を全く分かってない先生に当たったのと、韓国がどうしてダメなのかを知りたかったのとで、その段階で学校の勉強は一切、やめてしまいました。会計士受験の時は経済で級数、微分、積分が必要なのですが、これは問答無用で公式を覚えて、問題の数字を当てはめて解くという方法で乗り切りました。しかし本当の理屈は知りませんでした。いまは経済は選択科目になったので数学を知らなくても受かります。
六十も過ぎて、癌になり余命宣告を受けました。医者は手術を勧めますが、「このまま死にますわ」と家に戻って寝ていました。かみさんが「漢方だけでも」というので嫌々受けたところ、何と治ってしまいました。拾った命だわな、と六十五歳の時から高校の数学の勉強を始めました。参考書を買ってきて読み始めました。いずれ理解できないところが出て挫折したら、その時はやめればいいや、と思っていました。しかし本を読んでいるだけで理解できますし、解説書が飛ばしている算式の途中展開も自分で作り出して本に書き込むことが出来ます。ついには高校の時、私が質問して先生が答えられなかった箇所に来ましたが、なんだ、そういうことだったのか、と簡単に理解出来ました。あほな先生を相手にしないで勉強を続けていたら、また別の人生だったな、と感じ入りました。もっともそう気がつけたのはかみさんに拾ってもらい、時間の余裕を持てたからでもありますが。
三年目には大学の数学に入りました。自分が知りたかった宇宙の不思議にほんの僅かですが近づいている気がします。どこまで行けるか分かりませんが、「倒れるときはどぶであっても前向きに倒れたい」そんな思いで続けています。昨日まで分からなかったことが、今日は分かる。これって楽しいですよ。
李起昇 小説家、公認会計士。著書に、小説『チンダルレ』『鬼神たちの祝祭』『泣く女』、古代史研究書『日本は韓国だったのか』(いずれもフィールドワイ刊)がある。