当時、フィリピンは中共が支援する共産ゲリラの挑戦を受けていて治安情勢が不安だった。しかし、300年以上のスペインの統治と40年間の米国の植民地統治を受けたフィリピン社会は、反米的な雰囲気が日常的だった。ただ、経済発展のためには米国の支援が必要だったため、マルコス大統領は米国のベトナム戦支援要請に兵参と軍需支援を中心に応じていた。
もともと、この参戦7カ国首脳会談は、李東元外務長官が6月14日、ソウルで開催されたASPAC(アジア太平洋協議会)のとき、ベトナム戦参戦国代表らに提案したものだ。皆が賛成した。ところが、韓国がソウルでこの会議を準備するや、マルコス大統領はフィリピンがこの会議を主催せねばならないと意地を張り始めた。朴正煕大統領は激怒した。
米国は国務省のバンディ次官補をソウルに派遣、反米的な歩みをしているフィリピンの雰囲気を勘案しマルコスの面子を立てようと朴正煕大統領を説得した。7カ国首脳会談はマニラで開催するが、会談声明は韓国が作成したものを選択することで問題を収拾した。
このように参戦7カ国首脳会議の主人公は、米国以外の参戦国の全体派兵兵力の3分の2を提供した韓国の朴正煕大統領になるのが当然だった。1966年初めに南ベトナムへの国家別派兵規模を見ると、韓国が4万2500人、豪州が4500人、フィリピン2000人、ニュージーランド150人、タイは17人だった。
それでもマルコス大統領の、朴正煕大統領と米国に対する意地悪は続いた。マニラに到着した各国首脳は同じホテルに宿泊したが、朴大統領にあてられた部屋がもっとも小さかった。ジョンソン米国大統領に随行したラスク米国務長官の部屋よりも小さかった。
この参戦7カ国首脳会談を朴正煕大統領から奪ったマルコスは、愚かにもこの会談を自国内の反米感情を煽る宣伝に利用した。10月24日の午前9時に開かれた開会式でマルコスは、事前に合意された主催国としての10分程度の儀礼的な開会辞を無視、平和論を取り出して30分間も暴走した。
「(前略)平和と自由は全人類の権利であり望みです。平和と自由のないところに人類の繁栄と幸福はありえません。(中略)今この時も南ベトナムでは野蛮な戦争が続いており、不道徳な破壊と殺人が恣行されています。これは人類文明の破壊であり、人間の良心に対する反逆で、神の摂理に対する罪悪です(後略)」
ジョンソン米大統領はマルコスのこの奇怪な開会辞に対して激怒した。ジョンソン大統領は、演説中のマルコスが「平和」という言葉に言及するたび、マルコスに向けて一人で拍手をしながら怒気を爆発させた。マルコスは平和と自由を言いながら、それを守るための方案には全く言及しなかった。
朴大統領はアルファベット順で豪州のハロルド・ホルト首相に続き、基調演説を始めた。
「われわれは、人間の尊厳と自由を信奉する世界人類の念願を具現しようとする使命感をもってこの会談に臨んでいます。この会談を通じて、参戦諸国は不義と決然と対決し、正義のために進んで犠牲を払うことのできる勇気のある人々であることを世界万邦に改めて宣言するとともに、侵略者たちには侵略を放棄するよう圧力を加えなければなりません」
朴大統領は、休戦の前に外国軍隊の撤退反対、北ベトナムのベトコンに対する支援の即時中止、南ベトナムで南ベトナム共和国以外の政治権力不認定、休戦後の南ベトナムの独立保障などを主張した。
(つづく)