古代史万華鏡クラブ 「私の韓国歴史紀行(4) はるかなる高句麗と様々な民族」

第19回紙上勉強会
日付: 2021年11月10日 00時00分

講師:勝股 優

 韓国の歴史ドラマを観ると高句麗、百済、新羅は争ってばかりいたような印象だ。それも事実だろうが、その争いは意外に小規模で日本(倭)の方がよほど激しかったらしい。壬申の乱、源平の戦い、戦国時代etc。
中世の話になるが上杉謙信と武田信玄の川中島の戦い(1561年の対決)は特に凄惨だったようだ。松本清張の「私説・日本合戦譚」によれば謙信側の死者3400人、負傷者6000人(損害率72%)、信玄側は死者4500人、負傷者1万3000人(損害率62%)だったという。意外なのは日本最大の戦争、関ヶ原の戦いは家康側が兵力7万5000人で、死傷者わずか400人! 三成側は兵力8万人、死傷者8000人。
あまりに世の常識と違うので歴史家に確認したところ、「清張さんの説も有力です」との回答があった。川中島の戦いの激しさと同時に裏切りばかりの関ヶ原の実際がわかる。
一方、朝鮮半島は外圧(侵略)の方が凄まじかった。朝鮮歴代の正史に記録された異民族の侵略を数えたら900余回もあるらしい。隋・唐と高句麗の攻防がその代表だ。598年に隋は高句麗に水陸30万人で攻め込んだが高句麗は山城にたてこもり伏兵によるゲリラ作戦で翻弄。洪水や疫病、食料不足にも助けられ、帰り着いた隋軍はわずか1~2割。続いて612年には113万人という想像もつかない兵で高句麗をうかがい、まず30万人が攻め込んだが伸びきった兵站を伏兵に突かれ、生き残った兵はわずか2700人という惨憺たる敗北を喫し、隋滅亡の要因となる。
隋に続いた唐の侵攻を3回も退けた高句麗だったが長い戦いの疲弊による内部分裂、新羅と結んだ唐の戦略により、668年ついに力尽きる。それにしても大国のたび重なる侵略にこれほど耐え続けた国は他にない。希代の勇猛な国だ。今、政治的問題でその地を訪ねることができないのは残念でしょうがない。
900余回におよぶ外圧には周辺の遊牧・狩猟民族も多かった。蒙古族の元の支配やツングース系の靺鞨(後に女真・満州族を名乗り、金や清を建国)の侵略は説明するまでもないが、半島とつながる大陸では異民族が興亡を繰り返し、その余波を受けてきたことは間違いない。これまでの連載で述べてきたように高句麗はツングース系の濊貊族と言われるし、百済は扶余系(蒙古+ツングース)が支配層。新羅の韓人を支配したのもツングース系とみられ、絶え間のない侵略があったはずだ。
4世紀末の中国華北にはついに騎馬民族や狩猟民族(五胡)が十六の国を建国、130年続く。五胡とは匈奴(蒙古系)・羯(匈奴と同族)・鮮卑(せんぴ/蒙古系)・氐(てい/チベット系)・羌(ぎょう/チベット系)だ。その五胡十六国の後も鮮卑族は北魏を建国。洛陽に都を定め仏教文化を花開かせている。騎馬・狩猟民族の文化の高さを表すものだろう。
 騎馬・狩猟民族にあこがれている私。時代は同じではないし、中華的悪字の国ばかりだが、私にはきらびやかな民族の名がまだまだある。トルコ系なら突厥や鉄勒、烏孫。蒙古系なら烏丸や契丹、室韋、柔然・蠕蠕、東胡。ツングース系なら粛慎、沃沮、挹婁…。
半島を経由して九州に上陸、征服王朝を作ったのは扶余系の騎馬民族。はたまたツングース系民族だったという説がある。それで言うなら東日本には確実にツングースの痕跡がある。焼き畑で作る野菜の温海蕪(山形)のように東日本の蕪は大陸から伝わってきた東北アジア種であり、西日本のものは中国種だ。秋田のナマハゲは大陸のシャーマンそのもの。古代陸奥国府のあった多賀城に762年建立されたという石碑に「靺鞨」の文字がある。
「去京一千五百里 去蝦夷国界一百廿里 去常陸国界四百十二里 去下野国界二百七十四里 去靺鞨国界三千里……」。多賀城と平城京などとの距離を示す石碑なのだが、東北はその時代から大陸が身近だったのだ。
”ノンミルク”(私の解釈ではチーズを常食としない)というキーワードも面白い。一昔前、ミルクを飲むと腹をこわす人が多かった。日本人には乳糖を消化するラクターゼという酵素が欠如しているかららしいが、ユーラシア大陸のノンミルク圏はツングース民族圏とピタリ当てはまる。韓国では最近チーズタッカルビが流行しているようだ。スワ、騎馬民族の血か?と思ったが、日本で生まれたものらしい。韓国のチーズ好み度は日本と同程度だろう? いささか針の孔から覗いた話になってしまったが、日本人も韓国人もツングース仲間なのだろうと思う。

写真上:かつて多賀城があったのは、陸奥国で、現在の東北地方の太平洋側(福島・宮城・岩手・青森・秋田県の鹿角郡)にあたる。碑文にある靺鞨は、高句麗遺民と協力して渤海国を建国。日本に使節を34回も送っている。写真は多賀城の石碑(重要文化財)
写真下:騎馬・狩猟民族好きの私は匈奴や突厥の故地、モンゴルに10回も行っている。チンギスハーンの兵隊の墓と伝わる地で合掌

【講師紹介】勝股 優(かつまた ゆう)自動車専門誌『ベストカー』の編集長を30年以上務める。前講談社BC社長。古代史万華鏡クラブ会長。奈良を愛してやまない。


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