私は末っ子です。男の子だから、ある程度は韓国的価値観を押しつけられましたが、兄が居たので、その暴風をかなり避けることが出来ました。そうでなかったら、兄のように父親から韓国文化を強制され、ぼこぼこにされて在日二世の長男に特徴的な性格の人間になったに違いありません。それを知っているので兄には感謝しています。
ある在日が相続の相談に来ました。法定相続分ぐらいはもらいたいと言います。その人は末っ子で、長男は焼き肉屋をしています。彼自身は日本の上場企業に勤めており生活の心配はありません。私は税理士としてではなく、同じ在日として言いました。
長男は土地と店という不動産ばかり相続しました。現金は大してありません。末っ子に財産分与をしようとすると、銀行から借金をしなければなりません。それに親とともに財産を築いてきたのは長男自身です。私は在日の長男がどういう環境に置かれた人たちであるかを話しました。長男に特徴的な人格を言うと、「うちも全くその通りだ」と言います。そんな長男が居たからあなたは守られたけれど、その長男が居なければあなたが長男のような人間になっていただろうと述べ、そして財産分与を求めないのが最善だ、と言いました。長男に銀行から新たな借金をさせてあなたに財産分与をさせるのは、あまりに過酷すぎないか。あなたの兄さんの人生は可哀そう過ぎないかと言いました。彼は私の意見を入れ、財産分与を受けないことにしました。
現在は、時期的に一世の相続はほとんど終わっていることでしょう。もし二世の兄弟の中に、長男は自分たちの代わりに犠牲になったという認識があったなら、多くの財産争いの現場はだいぶ変わったものになっていたのではないかと思います。私は争いになりそうな相続を何とか一つ丸く収めることが出来ただけです。この点はいささか残念です。
そんな在日の長男は、自分をぼこぼこにした父親を尊敬してやみません。彼らの精神状態は簡単にいうとファザコンです。かなわない相手には、その者が自分に害を及ぼしているにもかかわらず、人は尊敬し憧れます。この精神構造は韓国の李朝時代にもありました。両班から搾取され、馬鹿にされ、罵られていた普通の人たちは、そんな両班を尊敬してやみませんでした。こうした精神構造のお陰で李氏朝鮮は五百年の長きにわたり自国民を侵略し続けることが出来ました。日本がアメリカを好きで尊敬するのも同じ構造です。自分たちをぼこぼこにしたからこそ、日本人はアメリカを尊敬するのです。韓国を侮るのは裏返しの構造です。
さて、李氏朝鮮の支配層の中には不満分子がいました。庶子のグループです。庶子というのは分かりやすくいうと妾の子(差別語です)です。徳川吉宗の将軍就位を祝って朝鮮から通信使が来ました。その時の記録官が申維翰という人で海游録という紀行文を残しています。この人は庶子でした。李朝の中頃まで庶子でも科挙の試験を受けることは出来ましたが、出世の道は限られていました。彼の後の時代になると、受験資格そのものがありませんでした。能力があっても飼い殺しです。当然テロや改革を考えます。しかしそのような計画は何度も潰されました。
最終的に、辛抱たまらんと立ち上がったのが全羅道の農民たちでした。東学革命です。自由、平等、博愛を求めて鋤や鍬で立ち上がりましたが、日本軍が機関銃掃射でなぎ倒しました。その結果、韓国は李朝的価値観の上で資本主義をしています。韓国にいる人たちは、それが当たり前として生きてきました。自分たちが最悪の中にいるということを知りません。歴史を反省しない韓国人は将来もこうした点に気が付かないでしょう。自由、平等、博愛は遠いと言わざるを得ません。
李起昇 小説家、公認会計士。著書に、小説『チンダルレ』『鬼神たちの祝祭』『泣く女』、古代史研究書『日本は韓国だったのか』(いずれもフィールドワイ刊)がある。