ノースコリアンナイト~ある脱北者の物語(60)残された時間とノート

日付: 2021年10月27日 00時00分

たんぽぽ

 2021年10月14日木曜日10時から16時43分まで、東京地方裁判所で日本初の北朝鮮・金正恩を被告にした法廷弁論が開かれた。原告は1959年からの「北送事業・帰還事業・帰国事業」で北朝鮮に渡り40年以上を過ごし、奇跡的に日本に帰ってきた5人の脱北帰還者。80歳の日本人妻・斉藤さんと当該裁判発起人である在日コリアン川崎さん、脚が不自由で歩くのが大変な榊原さん、中学生で北朝鮮に渡った石川さん、3歳だった高さん…歴史的な瞬間に立ち合って万感が交差した。北朝鮮で亡くなった多くの顔が浮かび、その中には17歳の誕生日前に死んだドンスもいた。
◇  ◇  ◇
聴覚を失ったドンスは声も出なくなった。キム君はドンスの手を握って泣いており、私は一瞬ぼんやりしていた。寝不足と栄養不足のせいか、ドンスの異変に対応するべく頭が回らなかった。ドンスも、自身の異常に気づいた。やつれて骨が浮き出た頬に、くぼんだ大きな目から細い涙が流れた。痩せた身体が絞り出すその涙は、私の胸の奥を抉るような痛みを感じさせた。両手を重ね、胸を押さえつつ目をギュウっと閉じた。意を決して目を開け、床の暖かいところから柔らかくなったアヘンを取り、米粒大の大きさをすくってドンスの口に入れた。強い痛みで苦しまないように、またドンスが痛みに耐えられず意識をなくしたらそれで終わりになるんだと思ったから。キム君に「ドンスに残っている時間はあまりない。ジョン先生を連れてくるから、ドンスをしっかり見ていて」と言って外に出た。外の冷たい空気が胸の痛みをより強くした。
ジョン先生は居らず、他の患者の往診に行っているようだった。ジョン先生の奥さんは自分の暖かい手で私の冷たい手をさすりながら「先生が行ってもしてあげられることはもうないの。あと少しよ。見送ってあげて」と言った。
分かっていたが、奥さんから現実を突きつけられ、めまいがした。無言で頭を振り、挨拶をしてジョン先生の家を辞した。
帰りに店に寄って、飴を10個買った。一つを口に入れ、葬儀を手伝ってくれそうな知人の家に寄った。知人の口に飴を一つ入れた。飴を口に入れるのが、いつしか死体処理前に私たちが行う習慣になった。相手が無言で口に飴を入れてくると、それは死体を処理する合図となった。私たちは3人組で、その知人にドンスの家を教えた後、もう1人が来る前にすべきことがあった。
職場に寄り、責任者に仕事の休みをお願いした。責任者もドンスのことを察していて無言でうなずき許可してくれた。みんな私の説明なしでもドンスの死を察していた。この「賢明」な分析力、判断力をこのような場面にしか使わない、私を含めて「大人」に少し腹が立った。
ドンスの家の階で若い男性に声をかけられた。「ドンスとどんな関係ですか」身なりで人との対応を決めるのは北朝鮮では普通のことだが、青年は上から目線の口調で聞いてきた。私が無言でいると、「隣の家の者です。ドンスの様子はどうですか」とまた聞いてきた。返答せず、ドンスの家に入った。
キム君はベッドのかたわらで、ドンスにお湯を飲ませていた。アヘンのせいか、ドンスは少し楽な顔をしていた。私はドンスに飴を見せ一つを口に入れて、残りはキム君にあげた。
ドンスは机の上のノートを指差した。頁をめくると何か書いてあったが、字がメチャクチャだった。
残っている力でけんめいに書いたことは伝わったが、5頁ほどの内容がはっきりわからなくて3回読み返した。そんな私に、キム君が「私が話してあげます」とノートを取りあげた。その内容に驚いて、自分の理解が間違っているのではないかと思った。キム君はドンスとずっと一緒にいて、ドンスの言いたいことを知っていた。
ドンスの目を見ながら、キム君の説明を聞いた。
隣家の両親は日本出身者だった。
(つづく)


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