大韓民国の建国史(253)アジア反共同盟最前線の指導者、朴正煕と蒋介石

日付: 2021年10月20日 00時00分

 朴正煕大統領は1966年2月13日の11時、香港に到着した。デビッド・トレンチ香港総督が空港に出迎えた。トレンチ卿は朴大統領夫妻を宿舎である香港マンダリンホテルまで車で送り、案内した。朴大統領は、公式日程なしに2日を過ごした。朴大統領は2日間、東南アジア地域公館長会議を主宰し、蔡命新駐越韓国軍司令官から報告を受けベトナム戦況を中心に東南アジア情勢を検討した。
2月15日の午前10時、朴大統領一行は香港啓徳空港を出発した。1時間後、自由中国の空軍機編隊の護衛を受け、松山飛行場に着陸した。朴正煕大統領と蒋介石総統は握手をした手を離さず、しばらく黙って感慨に浸った。2人の元首は、30歳の年齢差があったが、歴史の中で大陸と日本を舞台に、革命児として生きてきた。
蒋総統は歓迎の辞で「韓・中両国は共産主義との闘争で先鋒の役割を果たしており、繁栄と盛衰の運命共同体」と語った。朴大統領は、「自由中国の本土収復と韓国の国土統一こそ、両国民の念願」であり、「たとえ今日は、アジアの一部が共産主義に染まっていても、これはごく暫定的状況に過ぎないことであって、伝統的アジアの倫理と意志はいつか、これを駆逐、統一された中国、統一された韓国を取り戻すに違いありません」と述べた。
2人の元首は、車に同乗し宿舎である台北市内のグランドホテルに向かった。沿道には、多くの歓迎の人波ができた。自由中国政府は、朴大統領の訪問を記念する切手を発行し、この日の郵便物には、韓・中両国の国旗と韓国大統領訪問記念という消印を押した。
朴正煕大統領の自由中国訪問は意義が深い。事実、大韓民国の建国後、初の首脳会談は自由中国の蒋介石総統の49年8月6日から8日までの訪韓だった。李承晩大統領も休戦後の53年11月27日、台湾を訪問した。自由中国は国連安保理の常任理事国だったが66年当時、自由中国を承認していた国は57カ国にすぎなかった。
自由中国も米国の15年間の支援によって63年からは国際収支も黒字が出始めたが、軍隊中心の戒厳令状態が続いており、言論統制も厳しかった。朴大統領の東南アジア3カ国歴訪に同行取材した記者は、その当時、韓国より民主主義を実践していた国はなかったと回顧した。
朴正煕大統領は午後、蒋介石総統を表敬し勲章を交換した後、首脳会談を行った。夕方に総統府で蒋総統が主催する晩餐会が開かれた。朴大統領はこの席で、彼の多くの演説の中で共産主義と対決する戦略姿勢を最もよく表した有名な演説(晩餐辞)を行った。

「総統閣下、貴賓の皆様!
私はまず、閣下と貴賓の皆さまが私たち一行に示されている温かい歓待に感謝します。貴国を訪問した私の使命は、ただの隣人や友人という、平凡な表現だけでは足りない、両国民の兄弟のような深い情誼をさらに厚くするためにあります。
今、アジアは、世界を恐ろしい破滅に追い込もうとするつむじ風の中にあり、それゆえ、われわれ両国民の友誼と団結はいつにも増して、そして何よりも、改めて要請されています。
今、アジアにおいて、誰が誰を脅かしているのかはあまりにも明白です。韓国動乱以降、アジア大陸の外れで起きているすべての悲劇は、共産党が中国国民から主権と国土の大部分を略奪したということ、まさにそこに禍根があるのです」        (つづく)


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