大韓民国の建国史(251) ベトナム戦争への大規模派兵が大韓民国の進路を変える

日付: 2021年10月06日 00時00分

 いずれにせよ、ベトナム戦争に参戦した韓国は休戦線に加えて、もう一つの第2戦線を持つようになった。2個師団と海兵旅団を派兵する韓国は、政治家だけではなく、全国民の安保・戦争に対する関心が高潮していた。準戦時のような緊張した雰囲気になった。メディアはベトナム戦を詳しく伝えるようになった。韓国軍の勝報と共に死傷者も報道された。放送では軍歌が流れた。
ベトナムに大規模な兵力を派兵する朴正煕大統領は、米国からベトナム戦争の遂行について緊密な協議の約束を取り付けた。朴正煕大統領時代になって、韓国は大統領の首脳外交が本格的に行われるようになるが、ベトナム戦への参戦がそのきっかけとなった。ベトナム戦争に軍団規模の大兵力派兵を通じて、韓国は東南アジアとの関係を緊密に拡大していった。
朴正煕大統領の在任中の海外訪問は、米国と西ドイツ訪問の他は、すべてがベトナム戦争派兵期に行われた。ベトナム参戦が国際社会においての韓国の地位を高めたのだ。朴正煕大統領は1966年2月7日から18日まで、マレーシア、タイ、自由中国を訪問した。元々、フィリピンも訪問する計画だったが、フィリピン側がマルコス大統領の日程が忙しいという理由で首脳会談を断り実現しなかった。マルコス大統領は韓国を見くびっていた。
強力な統治者という共通点があったマルコス大統領から訪問を断られた朴正煕大統領の反応は、当時の外務部長官だった李東元長官の回顧録『大統領を偲んで』に残っている。朴正煕大統領は「生意気な奴、見ていろ。これから、われわれが数年内にフィリピンを追い抜くから。そして10年後は、われわれは先進国になり、フィリピンは永遠に後進国として残っているはずだから、見ていろ」
5・16軍事革命の成功後、韓国では当時、アジアで精力的に近代化を推進していたパキスタンとフィリピンに学ばなければならないという雰囲気があるほどだった。米8軍が発注した建設工事にフィリピンの会社が施工者として選ばれれば、韓国の建設会社はその下請け会社として参加する場合が多かった。
しかし、韓国より進んでいた、アユーブ・カーン将軍のパキスタンとマルコスのフィリピンは近代化に失敗し、朴正煕大統領の韓国だけが近代化に成功した。パキスタンとフィリピンが近代化に成功できなかった理由は、色々あっただろうが、歴史家たちは決定的な原因を農地改革問題から探す。
韓国は李承晩大統領が、共産側の6・25南侵戦争3カ月前に仕上げた農地改革法が、韓国の伝統的な地主階級の没落と土地資本の産業資本化の効果を収め、何よりも韓国の共産化を阻止した。李承晩大統領が守旧勢力の反対を押し切って、建国直後から農地改革を強力に推進したのは、ソ連占領下の「北朝鮮臨時人民委員会」が46年3月5日、農地改革を断行、共産主義の優位性の宣伝手段として活用したからだ。韓国農民たちは6・25戦争中、自分の土地を守るため共産軍と戦った。
一方、農地改革が実施されなかったパキスタンとフィリピンは、民主主義体制を打ち出しはしたものの、地主出身の政治家や軍人たちが守旧勢力の利益を守る役割をした。朴正煕のような貧しい農民と庶民出身が将校団を形成していた韓国軍が、国と国民全体の利益を基準として政策を施行する改革性向の国家エリートに変身したのに対し、マルコスは、権力を自分と家族、そして既得権層の利益を守る手段として主に使った。
(つづく)


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