◆ドラマと文学で探る韓国 「自分を探しに行く物語」②

ドラマ「サイコだけど大丈夫」×小説「アーモンド」
日付: 2021年09月08日 00時00分

青嶋 昌子

 人の気持ちに寄り添う、人の心を理解する、というのは、実は非常に高度な精神行動ではないだろうか。誰かに理解されたいという思いは誰にでもあり、誰かを理解してやりたいという思いもまた、誰の心にもあるだろう。だが、思いとは裏腹に、気持ちを理解するという行為は決して易しくはない。

『アーモンド』の主人公、16歳のユンジェは生まれつき感情を持たない。自分に感情がないのだから、人の感情を理解するということもない。人々はそんな少年をまるで怪物のように忌避する。教育によって息子を変えられると信じる母親は、ユンジェに人間の感情を教え込もうと躍起になる。「喜」「怒」「哀」「楽」「愛」「悪」「欲」を一字ずつA4の紙に印刷して家中に貼り付け、その基本概念をしっかりと暗記させた。
さらには、さまざまなシチュエーションに合わせて、その対処方法を同じように壁に張り出した。たとえば、相手が笑ったら、自分も同じように微笑む、とか。こうして一つ一つの感情表現を学習するユンジェ。それでも、やはり彼は周囲から気味悪がられてしまう。祖母はユンジェに「人っていうのは、自分と違う人間が許せないもんなんだよ」と諭す。
そう、人は自分と違う人間に対して、無意識に嫌悪や恐怖を抱いてしまう。理解されたい、理解したい、そう思っているのに、自分と違う人間を見ると、避けようとしてしまうのが人間なのだ。

『サイコだけど大丈夫』にも『アーモンド』に登場した感情の張り紙と同じようなシーンがある。主人公ガンテが自閉スペクトラム症の兄のために作った感情カードがそれだ。「うれしい」「怖い」「悲しい」「憎い」などと書かれたカード。その時に人が見せる表情も添えられている。自閉症ではないが、複雑な家庭環境のせいで愛を知らず、人の感情を無視する童話作家ムニョンに、ガンテはそのカードを示して、共感できないなら暗記でもいいから、人の表情を読み取る努力をしろと迫る。
ドラマと小説では、状況はいささか違うものの、人の感情が読み取れないという事実に変わりはない。また、そのせいで人々の偏見に晒されているというのも共通している。ムニョンに学習を強要するガンテもまた、彼女の気持ちを無視していると深読みすることが可能だ。

昨今、多様性とかSDGsといった言葉が日常的に使われるようになり、自己と社会の関わり合いや価値観は、加速度的に変化している。とはいえ、身近なところで実際にそのような場面に直面した時、私たちは適切な判断ができるだろうか? 難しい場面を想定する必要はない。高齢者やベビーカーでもかまわない。理解されたいと願っている私たちは、果たして彼らを理解するために心を砕いているだろうか。
社会は全て繋がっているのに、あたかも彼らの社会は別のところにある、と無意識に思っているとしたら、自分が理解されることも、寄り添ってもらえることも無くなってしまうだろう。

青嶋 昌子 ライター、翻訳家。著書に『永遠の春のワルツ』(TOKIMEKIパブリッシング)、翻訳書に『師任堂のすべて』(キネマ旬報社)ほか。


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