ノースコリアンナイト~ある脱北者の物語(56)無情に流れるドンスとの最後の時間

日付: 2021年08月31日 17時12分

たんぽぽ


連日酷い暑さが続いている。地球の悲鳴か太陽の意地悪か分からないが、昨今の猛暑は確実に「殺意」を持っていると感じざるを得ない。私は、家でも職場でも買い物のときも「エアコン」の涼風にすっかり慣れてしまった。日本に来て、先進国に住んでいる者としての「快楽」から、感じていたストレスは毎年どんどん薄れていく。
これ以外にも8月を不快にさせる慣例の種は韓半島と日本に多くある。8月を思うとすぐに浮かぶのは広島と長崎の原爆と、15日の終戦日だ。罪なき人々に現在まで不幸を与え続けている出来事は「教訓」より、政治的な「利用」の役割を果たしている気がするのは私だけだろうか。物質的豊かさと心の安寧のアンバランスに、矛盾と迷いを感じる。

ドンスを直接見るのを避けたいけれど、そう出来ない瞬間が来た。数年前の死体運びを含め悲惨なことに慣れていたつもりだったが、他人とそうでない知人の間に差があることを初めて知った。慣れは何の助けにもならなかった。近しい知人の喪失の「恐怖」は、また全然違うものだった。どうにかドンスの隣に座った。私は、目を閉じて静かに長く息を吸ってゆっくり吐きながら目を開けた。冷静になった目と手でドンスの顔から首、耳、腕、足の裏までを見た後に手首の所で脈を測った。自分なりの判断で状況を分析した。
キム君に水を汲んで来るようにお願いして、釜で湯を沸かした。その間、キム君が汲んでくれた水で家の中を簡単に掃除した。階段が暗いので10リットルのバケツ2個で3回運んでくれたキム君に、釜の湯と石鹸で手を綺麗に洗うように言った。石鹸は、私が子どもにだけ使う日本製「COW」を家から持って来たものだった。日本に来て100円ショップで包装が同じ石鹸を見て、買って使ってみたら同じ香りの同じ物だった。今はその石鹸を使っていない。家から持ってきた綿の下着を手の大きさに切り、釜に入れて30分ほど煮沸消毒した。その時にジョン先生が帰ってきた。
すぐドンスにペニシリン副作用検査をした。しばらくしてジョン先生はドンスの手首に顔を近づけて反応を見たが、低い電圧で薄暗いブラウン色の光の中ではよく見えなかった。私はすぐキム君に白いロウソクを買って来るように言った。
白いロウソク2本の光でようやく検査反応を見たジョン先生は「大丈夫そうだ」と言った。私はキム君に、ドンスのペニシリン使用歴を聞いた。キム君は1年ほど前に1カ月間打ったことがあると答えた。しかし心配で、ジョン先生に他の薬を先に使って、外が明るくなったらまた検査をしてペニシリンを使おうと相談した。他の薬とはアヘンのことだった。北朝鮮ではアヘンは非常薬で、黒いエキスの塊は大体の家庭で常備していた。
スプーンに黒いアヘンを少し入れてロウソクの火で柔らかくした。酷い傷にそれを塗り、消毒した綿布で覆った。ジョン先生は熱を下げないと意識が戻らないと言った。しかしドンスの身体の状況から薬を口から入れるのは無理だとし、また針を出してあちこちに刺した。
私はキム君を暖気がある部屋の隅で先に寝かせた。看病する際にみんなが疲れてしまわないように、交代で休み体力管理をすることも大事だった。針を抜いたジョン先生は外が明るくなる頃に来るからと、いったん帰った。白米ともち米で水に近い薄いおかゆを作ってドンスの口に少しずつゆっくり注ぎながら、水に濡らした布で熱を取った。
薄暗い静かな部屋のなか、ドンスと私に辛さを残して「今日」は、冷酷無情に二度と会えない「昨日」になっていった。
(つづく)


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