「私が今回の訪米で最も深い印象を受けたのは二つ。一つは緑の森、もう一つはウェストポイントで出会った生徒たちの凛々しい姿と若い気概。私は米国から持ち帰りたいのがあの青い森だ。国は、このように青くてこそ未来がある」
当時、朴大統領は48歳。周りの参謀たちも30代後半から40代前半がほとんどだった。若くて覇気のあるグループが導いた若い韓国だった。ウェストポイント訪問を終えた朴大統領は、航空便で鋼の都市のピッツバーグへ移動した。朴正煕大統領は6カ月前の西ドイツ訪問のときと同じく、先進国の米国を隅々まで見たかったのだ。
ピッツバーグ市でヒルトンホテルに宿泊した朴大統領一行のため、メジャー石油会社のガルフが晩餐を準備した。蔚山精油工場と鎮海肥料工場建設に投資したガルフ社は投資国である韓国の大統領一行を丁寧に接待した。朴大統領一行は翌日(5月22日)の朝早く、ジョーンズ・アンド・ローリン鉄鋼会社を訪問した。5・16革命後、総合製鉄工場の建設を試みたが、挫折を味わった朴大統領はうらやましそうな表情で工場内を視察した。随行員たちは、「私たちも、このような工場を持つことができれば他に望みはない」と述べた。
ピッツバーグ空港を10時20分に発った特別機は、フロリダ州ケープケネディ宇宙基地に到着した。宇宙センターでは、朴正煕大統領の訪問に合わせてアトラスロケットを発射した。ロケットが轟音を立てて発射されるや、朴大統領は双眼鏡で視界から消えるまで見た。沈黙している朴大統領に随行記者が所感を尋ねた。
朴大統領は、不愛想に「他国が発射したのに、感想は何って」とぶっきらぼうに話し、顔を横にした。質問した東洋通信の金聖鎭特派員は、朴大統領は米国を見ながら、韓国の未来を考えていることが分かったと振り返る。
日曜日をケープケネディのパトリック空軍基地で休息した朴大統領一行は、月曜日(24日)の午前、特別機でロサンゼルスへ向かった。朴大統領は、サミュエル・ヨチ市長の歓迎を受けた。宿泊先となるヒルトンホテルに寄った後、大統領一行は午後、ヘリコプター便で南カリフォルニア大学のみかん農場を視察した。広大な砂漠に造成されたみかん農場を回りながら、案内を担当したヒンデルレイカー総長にいろいろと尋ねた。朴大統領は、随行していた側近たちに「こういうものをわが済州島で栽培できないだろうか」と訊いた。
韓国の済州島でみかん農場が始まるのは1968年、政府が各道別に農漁民所得増大の特別事業の品目として、日本からミカン苗木を済州島に持ち込んだことから始まる。カリフォルニアのみかん農場視察をした3年後のことだ。
朴大統領は、ロサンゼルス市のヨチ市長の邸宅で開催された夕食会に出席した。翌日(25日)、朴大統領は在米同胞を招請して朝食会を行った。
ロサンゼルス近くには約2万人の韓国人が住んでいた。朴大統領は招待された200人の前で、「羅城は、以前われわれの独立運動の根拠で、私たちの心の故郷だ」と演説した。「今日の韓国に対して一部の失望があるかも知れないが、それは私たちの民族的勇気と結束と自信次第でいくらでも打開できます」「二度と貧困と貧しい祖国を子孫に残さないため、皆固く団結して立ち上がりましょう」と演説を終えた。
雷のような拍手が起こった。朝食の後、米国が約束した1億5000万ドルの借款を、帰国後に直ぐ申請し4カ月以内に終了するようにと、張基栄副首相に指示した。
(つづく)