古代史万華鏡クラブ 「私の韓国歴史紀行(1)」

第16回紙上勉強会
日付: 2021年07月14日 00時00分

朴景利氏の『土地』を記念して作られた平沙里パーク。朝鮮王朝時代の農村が忠実に再現されている。門前町もある大規模施設だ。河東はシジミ料理が有名
 これまでの連載で日韓の古代の繋がりを勉強してきた。まだ学習途上だが個人的に興味深かったのは故郷の地名の由来だ。以前少し書いたが出身は東美濃。中世史でいえば守護大名、土岐氏発祥の地。戦国時代、斎藤道三に滅ぼされるのだが今も隣町は土岐市だし、町内や川にその名が残る。私は漠然と、鳥の朱鷺が多くいたのだろうと思っていたが、作家・金達寿の説が面白かった。
曰く、古代新羅は太陽神を信じ天神を祭った場所を迎日県あるいは都祈野と呼んだ。都祈は古代新羅語でトジ、日本語ではトキと読み、日の出をあらわす。「鶏がトキを告げる」という言葉がある。普通時刻の意味にとられるが、鶏の習性上”日の出”ととらえる方が正解ではないか。東美濃は東海地方では最も日の出が早い。有力豪族が覇を競った地で、それは一種の誇りだろう。
トキは古代新羅語からきている。甲斐源氏の武田義光は新羅三郎を名乗ったが、美濃源氏土岐氏のルーツも新羅にあったようだ。
地名から歴史を学んだが、旅すればなおさら勉強になる。とはいえ私はズボラ。あらかじめ勉強して出かけるタイプではなく、旅の後、司馬遼太郎の『街道をゆく』や歴史書を読んで振り返る。旅の後味を楽しむのだ。私の韓国の旅の後味はいつも濃厚だ。ということで、古代史から少し離れるが私の韓国歴史紀行だ。
弥生のはるか昔から倭人が多く住み、列島と切っても切れない関係があった加耶諸国。渡来人の二大勢力、漢氏や秦氏はここからやってきた。金海周辺の金海加耶、咸安の安羅加耶、高霊の大加耶、固域の小加耶などは比較的大きな集団だったようだが、多くは二~三村、数百人程度の小集団の集まりであった。
私の加耶の旅は鮎釣りが多い。智異山をはさんだ東西の川が舞台。東は山清の南江。西は求礼の蟾津江。半島の川は急峻な日本の川と違い悠然と流れ、異国ムードが味わえる。ただ周辺の山は照葉樹で日本の里山とそう変わらない。山麓の豊かな穀倉地帯には稲田が広がる。これなら古代、列島からやってきた倭人も馴染みやすかっただろう。山清には加耶時代に乞〓国があったとされており、倭人と繋がりのある古墳も多い。求礼は帯沙国があったようだ。
延喜式の調にもあるように倭人は鮎が大好きだった。私と同じように夢中になって鮎を追ったはずだ。鮎はウノと言い、現地の人は友釣りはしないが好んで食べる。ソウルの人は鮎を知らない。
蟾津江ではカワウソも目撃した。魚を捕食する猛烈な狩の情景が忘れられない。熊本の球磨川は山清の川に似ているが六〇年代に絶滅している。半島の自然の豊かさがわかる。
井戸茶碗を作陶中の鄭雄基氏。伝統的で巨大な登り窯から名品を生んでいる。近くには名産地をアピールする陶器公園がある
 蟾津江の河口近くに河東がある。朴景利氏の『土地』は韓国を代表する小説だが、その舞台が河東の平沙里だ。大地主、崔参判家の栄枯盛衰を通して李朝末期から日本からの解放までの近代史を描いた大河小説を在職中に日本で出版させていただいた。平沙里には李朝時代の人々の暮らしを伝える施設がある。見応えあり。
河東郡白蓮里の陶器工房も思い出深い。白い珍島犬もいた。辺りは一面の蓮畑。今頃は花の盛りでさぞ美しかろう。ここにも日本との厳しい中世史があった。
窯場は井戸茶碗の故郷。青井戸が有名だった。しかし四〇〇年の間、雑草に覆われ忘れ去られていたという。秀吉の壬辰倭乱の再侵攻(慶長の役)の折、薩摩の島津義弘が河東・晋州・泗川の陶工男女七三人を拉致連行した結果、窯の火は消え絶えた。近年、山中の物原(失敗作を捨てた所)の調査で青井戸の名産地であることが確認され、鄭雄基氏が再興を目指して工房を開き成功している。
壬辰倭乱のころ日本では茶道が隆盛を極め渡来物が珍重された。半島の庶民が使った飯茶碗でさえ千金の値を生んだという話も伝わる。島津勢には河東付近に駐屯した機に陶工を連れ帰るという目的があったと思われる。
拉致された朝鮮陶工といえば薩摩焼の話が有名。捕らわれた沈、李、朴、鄭、丁、下、車、姜、白、崔など十七氏は苦難を乗り越え沈壽官(現在一五代目)や太平洋戦争最後の外務大臣、東郷茂徳(朴茂徳)を輩出するわけだが、伝承では日本軍一〇万人が攻め込んだ南原城の激戦で捕まったという。おそらく河東の陶工も南原城に逃げ込んでいた(半島の城は日本の城と違い庶民を守る役割があった)のかもしれないし、白蓮里で直接襲われたかもしれない。鼻切りや耳切りの蛮行があった落城の混乱時に優秀な陶工だけ選り分けることなどできないから、おそらく後者だろう。白蓮里の陶工の血は今も鹿児島に続いているかもしれない。

【講師紹介】勝股 優(かつまた ゆう)自動車専門誌『ベストカー』の編集長を30年以上務める。前講談社BC社長。古代史万華鏡クラブ会長。奈良を愛してやまない。


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