北朝鮮は過去、国家ぐるみで覚せい剤ビジネスを行っていた。故金正日総書記直々の指示により、一九八〇年代から「白桔梗(ペクトラジ)」というコードネームでアヘン栽培が始まった。その後、国営製薬工場では覚せい剤を製造するようになった。海外に密輸して、不足する外貨を稼ぎ出すためのものだった。
筆者は一九九八年の秋頃、中朝国境地帯を取材している時に、自動小銃を掲げた中国公安が北朝鮮製の覚せい剤密輸を摘発する場面に遭遇したことがある。地元の公安関係者も北朝鮮の覚せい剤密輸には頭を痛めていた。アヘン戦争のトラウマを持つ中国は、北朝鮮による覚せい剤密輸に対して厳しく取り締まるようになるにはそう時間はかからなかった。二〇〇〇年以後、中朝国境での覚せい剤ビジネスは激減したが、これが思わぬ副作用を生み出す。
もともと国家が始めた覚せい剤ビジネスだが、おりしも当時は大飢饉「苦難の行軍」の真っただ中だった。一部の人民は生き抜くために、覚せい剤の製造、密売に手を染めるようになる。
製造ノウハウと原材料はあるが、海外の密輸販路は絶たれた。そして、いつしか覚せい剤が国内で流通するようになる。薬物使用の危険性に関する教育が行われておらず、医薬品が不足しているため、その代用として覚せい剤を使用する人も多い。麻薬商人、いわゆるバイニンたちは北朝鮮でお金がある人たちに、頭をすっきりさせて体に力が湧く精力剤とだまして覚せい剤をただで味あわせ、中毒者になってから定期的に購入させる。
中朝国境地域の農村では、訪れた客に対して「一服どうですか?」と覚せい剤を勧めるケースもあった。故金日成主席が描かれた紙幣でパイプをつくり覚せい剤を吸引する乱用者もいる。建国の父であり朝鮮革命の英雄の権威も、覚せい剤の前では吹っ飛ぶようだ。朝鮮労働党の幹部や富裕層の間では、「ダイエット目的」で覚せい剤を使用する女性もいる。一九八〇年代、日本の女性の間で覚せい剤の濫用者が急増したが、その理由は多くの場合「痩せられるから」、つまりダイエット目的だった。それとまったく同様の現象が、北朝鮮でも起こっていたのだ。
北朝鮮にはお金があっても、楽しめる所があまりないということも、麻薬中毒者が増える主な原因だ。商売でたまったストレスを発散できる適当な手段がない。統制と監視の中で受けたストレスを忘れさせてくれるのが麻薬だ。
薬物蔓延のきっかけをつくったのは金正日氏であり、現在の北朝鮮の薬物汚染はいわば自身が招いたことである。意外と思われるかもしれないが、息子の金正恩党委員長はこうした薬物蔓延に対して危機感をもっており、再三取り締まりを厳しくしている。しかしながら、経済状況が相変わらず悪い今の北朝鮮で、手っ取り早くお金をもうけられる薬物ビジネスがなくなるのは、そう簡単なことではない。
高英起(コ・ヨンギ)
在日2世で、北朝鮮情報専門サイト「デイリーNKジャパン」編集長。著書に『北朝鮮ポップスの世界』『コチェビよ、脱北の河を渡れ―中朝国境滞在記―』など。