ソウルを東京に擬える 第2回 京城と東京 近代建築と街並み

日付: 2021年07月07日 00時00分

旧ソウル駅舎
東京駅丸の内駅舎
ソウルの玄関口であるソウル駅。現在のスタイリッシュなガラス張りの駅舎は2004年に開業し、高速鉄道KTXをはじめとする特急列車、そして空港鉄道が乗り入れ、海外からの観光客もこの駅を経由する。その隣にあるのが重厚なレンガ造りの旧ソウル駅舎(史跡284号)で、現在は文化駅ソウル284という複合的文化空間として使われている。これは辰野金吾が設計した東京駅丸の内駅舎を彷彿とさせるが、旧ソウル駅舎は辰野金吾の弟子にあたる塚本靖とドイツ人建築家のG・D・ラランデの共同設計によるもので、1925年に完成した。
3次にわたる日韓協約や、10年の日韓併合を経て為政者となった日本は、ソウル駅と同様だが、西洋からもたらされた設計技術をもとに重厚な建物を作っていった。そのなかで象徴的だったのは景福宮の目前に建てられた朝鮮総督府庁舎だったといえる。景福宮は風水地理学に基づき、最適な場所に建てられたものだったが、背後にある北岳山からの気脈を絶つようにこの庁舎が設置されたと評される。解放後は国立博物館として使用されたのち、95年に解体された。現在はソウル図書館として使われている旧ソウル市庁舎は当初、京城府庁舎として建てられたもので、2012年に完成した新庁舎はそれを覆いかぶすかのようなデザインだったため、これが東日本大震災の津波を想起させるとの声もあったようだ。しかし、これらはおそらく都市伝説にすぎないだろう。
さて韓国屈指の繁華街である明洞は中区に位置するが、東京ではどこに例えられるだろうか。コスメ店や数々のショップ、飲食店などがひしめき合うメインストリートの雰囲気は渋谷センター街や原宿の竹下通りのようだといわれるが、中央区銀座や日本橋のような町だともいえる。そのひとつとして日本各地に「〇〇銀座」という街が存在するように、韓国では地方の中心街に「〇〇明洞」と名付けられた場所が存在する。
旅行客が明洞へ出かけるのは買い物やグルメを味わうためであろう。街に点在する近代建築にも目を向けてみれば、街への理解がより深まるはずだ。明洞と南大門市場をつなぐ交差点に新世界百貨店があるが、この本店本館は三越百貨店京城支店として1930年に建設されたもので、これを引き継ぐ新世界百貨店は韓国で最も歴史のある百貨店だと謳う。東京にも日本橋三越本店があり、この建物は増改築を経て35年に現在の姿になった。国の重要文化財に指定されながらも今もなお現役である。
さらに新世界百貨店の向かい側にある旧朝鮮銀行本店は、辰野金吾による設計で12年に竣工、現在は貨幣金融博物館として使われている。日本橋本石町の金座跡地に1896年に完成した日本銀行本店本館もまた辰野による設計で、両者の外観は雰囲気がよく似ている。
そして明洞のメインストリート中央付近には明洞芸術劇場があるが、この建物は日本統治時代に「明治座(ミョンチジャ)」として建てられたものであった(日本橋の明治座とは別の存在)。さらに明洞に隣接する旧忠武路付近は、日本統治時代には本町(ほんまち)と呼ばれ、当時はとても華やかだったメインストリート、本町通を歩くことを「銀ぶら」をもじって「本ぶら」といった。このように明洞は新しい要素も多々ある一方で、江南とは異なりオールドタウンとしての性質を持ち合わせている。
このようにソウルの中心部には今もなお日本統治時代の建築が残っている。韓国にとっては植民地支配を象徴するものではあるとはいえ、時代を超えて新たな形で人的交流が進むなか、現代にまで残された近代建築が両国にとって価値ある遺産として語り継がれることを願う。

吉村剛史(よしむら・たけし/写真・文)
1986年生まれ。ライター、メディア制作業。20代のときにソウル滞在経験があり、韓国100都市を踏破。2021年に『ソウル25区=東京23区』(パブリブ)を出版。


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