ノースコリアンナイト~ある脱北者の物語(54)腐敗した北朝鮮にも存在する人情

「北送事業」から61年
日付: 2021年07月07日 00時00分

 ドンスの家を出て、取りあえず知っている医者を早歩きで訪ねた。
歩きながら、ドンスをどうするか、職場にはどう連絡するか、子どもたちや家のことはどうするかなどについて考えないといけないのに、頭ではなく目の前に文字として浮かんで、頭の中は空っぽな状態になってしまった。
首の上にある頭が、外枠だけあって中は空っぽになっているような、状況を分析し指示を出す脳の部分がないような。実際には吐かないが、ずっと吐き気の嫌な感じが顎から腹部の上と背中で渦巻く。このあとに来る手足の痺れ、舌の硬直、痙攣…私は今、自分の身体が発作を起こそうとしていることが分かった。「駄目だ!」と自分に言った。なぜか今回の発作は、死に繋がりそうな感じがした。
子どもが生まれてから、以前と「死」に対する観点が完全に変わった。「将来」までは考える余裕がなくて、「この瞬間、この時間、この1日」を子どもと「生きる」ことに必死だった。大変な瞬間を必死に繋いで行く日常だった。
少しコンクリートになっている所で座ったら、頭の中がグルグル回って、吐き気がより酷くなった。舌を歯で強く噛みながら、冷たく硬くなって行く両手の指を組み合わせて揉んだ。手にぬくもりが戻って、すぐ歩き出した。
医者のアパートの玄関にいた中学生くらいの子に、5階の医者に私が下にいると伝えてくれと頼み、名前を言って持ち合わせからパン1つを買えるお金を出した。医者が下りて来て、その子と2人で私を5階まで運んだ。
医者ジョン先生は、私を横にしてすぐ針を刺し、先生の奥さんは灸の準備をした。私の身体の状況を知っている2人がいるだけで、私の心臓は落ち着き始めた。私は「先生、早く行きましょう」と言った。奥さんが蜂蜜を溶かしたお湯を持って来ながら「どこへ? あなたは今動けないよ」と言った。
上半身を起こしてお湯を飲みながら、「早く行かないと」と言い終わる前に目から涙がこぼれ落ちた。なぜそんなに涙が出るか分からないまま、お湯を全部飲んだ。ジョン先生はすぐに出かける支度しながら「薬は?」と言ったので、「意識朦朧として高熱と皮膚に…」と伝えた。
ジョン先生が自転車を持って降り、奥さんは外まで来て診療バッグを私にくれた。先生の自転車の後ろに座ったら、奥さんが「大丈夫、上手く行く」と背中を擦ってくれた。
ドンスがいる3階に「ようやく」着いた。ジョン先生はドンスが被っている物をゆっくり上からめくった。先生の顔だけをジッと見た。また涙が出そうになってその部屋を出た。先生の顔から何かを感じた涙だった。しかし涙を飲み込んで部屋に入って、ドンスと先生の方を見ながらドンスの友だちの手をギュッと握った。
「先生、時間かかりますか。私ちょっとだけ行って来ますので」と言った。先生が私を見ないで顔を縦に振った。ドンスの友だちキム君を連れて部屋を出た。キム君に、人に薪を送らせるから台所に火を熾してお湯を沸かしておくように頼んだ。
職場に帰って、仕事場で待っている班長に「すみません。事情は後で説明します。まずはリヤカー1台分の薪を運ばせて下さいませんか」と言うと、班長は睨みながら「分かった。どこへ?」と聞いてきた。私は班長と目を合わせないまま仕事場を閉める準備をしつつ、ドンスの家を教えた。
すぐ近くだったので、簡単な説明で場所が分かった班長は、自らボイラー室の職員と薪を運び、ドンスの家の台所に火を熾して帰って来た。
退勤前は職員の集まりがあるが、班長が「先に帰って。細胞秘書には私が言う」。私は、返事もせず避けていた班長の目を見た。班長と私の関係は、大きくではないが拗れていた。でもこの瞬間、廊下を歩いて行く班長の背中を見ながら、2人の間のわだかまりが全部なくなったのを感じた。(つづく)


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