新解釈・日本書紀 応神<第8回>

日付: 2021年06月30日 00時00分

伴野 麓

 日本書紀・雄略紀の21年条に、「天皇は、百済が高麗のために破れたと聞かれて久麻那利を百済の(波文)州王に賜って、その国を救い興された。時の人はみな『百済国は一族がすでに亡んで倉下にわずかに残っていたのを、天皇の御威光によりまたその国を興した』といった」と記されている。この記事は、応神(沸流百済)が高句麗・広開土王に敗れたことを暗喩するもので、恣意的に雄略紀に挿入されたものと思われる。
「新撰姓氏録」に「真人是皇別之上氏也」とあり、真人氏を最高姓氏としている。すなわち、天皇家は真人姓だというのだ。万世一系の皇統であるならば第1代神武も真人氏でなければならないが、「新撰姓氏録」の皇別に最初に書かれている息長真人は「出自誉田天皇 諡応神皇子」とあり、応神の子であることを明記している。天皇家の真氏が邪馬台国からでなく、応神から始まったことを立証する根拠となる。

(10)沸流百済に巨属した大浜宿禰が海人集団を再編

日本書紀・応神紀5年条に「海人部と山守部を定めた」とあり、古事記にも「海部・山部・山守部・伊勢部を定めた」とある。これは応神のために山海の珍味を用意する部を定めたということだろう。古事記に記す伊勢部は、山海の珍味を伊勢の地域で求めた、ということなのかもしれない。伊勢神宮は天武朝以後に整備されたものであり、当時は伊勢神宮を祭祀する行事はなかったはずだ。
海部は各地に散在し、その海部を中央で管掌した氏族が安曇連とされる。安曇連は古くからの大姓で、その分布状況を概観すると、筑前、筑後、肥前、対馬、隠岐、因幡、阿波、播磨、摂津、河内、近江、三河、信濃、等におよぶ。
「熱田大神宮縁起」によれば、ホアカリ(火明)を始祖とする尾張氏は、海部氏とされ、尾張国海部郡を本拠にしていたと伝えられていることから、海部氏は尾張氏の別姓でもあったようだ。京都は丹後の籠神社の祭神はホアカリで、奉斎(神仏をまつるの意)氏族である海部氏と同族関係にあり、始祖を同じくする。
安曇氏の同族に海犬養氏がいる。犬養はその字のごとく犬を養う氏族である。犬は鳥獣を猟するためのもので、それは天皇への貢上が目的だ。安曇氏と関係が深いのは隼人で、隼人の祖はホスセリ(火闌降)とされ、ホアカリとは兄弟の関係だ。「海幸彦・山幸彦」伝承の海幸彦はホスセリであり、山幸彦がホアカリこと彦火火出見である。
応神紀に記す海人部は淡路島の漁民を指すようだ。応神3年条に「各地の漁民(海人)の反乱を抑えた大浜宿禰が、漁民の統率者になった。大浜宿禰は安曇連の祖になった」という内容の記述がある。しかし、応神亡命以前の古い時代から存在する安曇氏をさしおいて大浜宿禰が応神朝に安曇連の始祖となり、全国に散在する海人族を統率したというのはおかしな話だ。これは、沸流百済に臣属した大浜宿禰を安曇連の新しい統率者にして、海人集団の再編を試みたと考えるのが自然ではないか。
大浜宿禰に新しく統率されるようになった淡路島の海人らは、淡路島周辺の瀬戸内海で獲れたアワビなどを舟にのせ、現在の西宮市あたりの浜に上陸して、応神の食膳に献上したと思われる。


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