麗水は閉麗水道に面した港町として栄え、16世紀末の壬辰倭乱(文禄・慶長の役)の際には李舜臣将軍がこの地で水軍の指揮をとった。この地方町が一躍、世界に知られるきっかけとなったのが2012年に開催された麗水世界博覧会。これを機に、さまざまな施設が充実し韓国有数のリゾート地として人気を集めている。
これまで何度か訪れてきたが、その度にアクセスがよくなっている。決まって訪れるのが麗水エキスポ駅の東に位置する梧桐島という小さな島。市内と島は防波堤のような橋で結ばれ、潮風の中を徒歩で行き来できるのが何とも心地よく、ぼんやりと過ごせる時間がいい。何もしない贅沢な時間とともに楽しみは、やっぱりご飯。最初に訪れたのは20数年前だった。その時、この島で味わった海の幸定食に感動した。以来、訪れる度に海の幸定食を食べるようになった。海の幸定食とは、勝手に自分でそう言っているだけで、現地では飲食店ごとにメニュー名があった。
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筆者命名の「海の幸定食」 |
コロナ禍になる前に訪れたのが最も新しい思い出になるのだが、その時も海の幸定食の店を訪れた。数年前より、店は新しくなり店主も代替わりしていた。夏の観光シーズンはもう少し先なのだが、その日は観光客も多く店はとても繁盛している様子だった。「こちらへどうぞ。4名様ですか」と声をかけられ席へ。すぐに冷たいとうもろこしのひげの茶(オクススチャ)を持ってきてくれた。夏本番ではなかったが気温が25度ぐらいあったような日で、ほんのりと日向のような香りのする冷たいお茶は何とも爽快感があった。店の人がやってきて「刺身の定食でいいですね」とひと言だけ。素っ気ないというより、何となく地元の人のような扱いをしてくれるのが嬉しい。と思っているところに、見覚えのあるおばさんが刺身を運んできた。「よく来たね。5年振りぐらいかな。あまり上手じゃない韓国語と聞いたことのある声がして、あの日本人かな、と思ったの。やっぱりそうだった。今日は忙しいから息子たちを手伝っているの。おばあちゃんだから楽をするように、と言われるけど働いている方が楽だね。いくつになった?」と、尋ねられ、一緒にいた韓国の友人が「もうすぐ私たち3人は還暦です」と話すと「まだまだ働けるから来年も来てね。あとで一緒に写真をとってね」と。言いながら慣れた手つきで若いスタッフとともにワゴンから次々にテーブルに料理を並べていく。
特産のタコやイカ、白身魚、アワビ、牡蠣などなど。たくさんの料理に、やっぱり来て良かったと思いながら、まずはスープを飲んだ。思ったとおり、海鮮の旨味たっぷり。さて、どれから食べようかと迷っているところにおばさんがやってきて、「ワサビ醤油もあるけど、酢コチュジャンが好きだったよね。辛かったらこっちも置いておくから」と、特に説明はない。最初に訪れたころは、刺身にはワサビ醤油より酢コチュジャンが主流だったが、今はワサビ醤油を好む人もいるようだ。
酢コチュジャンは、コチュジャンに酢、砂糖(作る人によって甘味はいろいろなものを使う)、ニンニクやネギのみじん切り、松の実、青唐辛子などを入れたもの。一緒に用意された葉物野菜を手に取り、刺身をのせ酢コチュジャンをちょいとのせ、葉物をくるりと巻いて食べた。辛味、酸味、甘味、塩気はさほど強くなく、それらがネギやニンニクの香味野菜と刺身を融合させ、さらに葉物野菜の瑞々しさが味をまろやかにしている。以来、韓国で刺身といったら酢コチュジャンで食べている(マグロの刺身はワサビ醤油)。辛かったらと用意してくれた方もマイルドで白身魚の刺身によく合った。旨い! 刺身の味に厚みが出てくるような気がするのだ。
コチュジャンに酢、ニンニク、ネギ、松の実、というだけで身体によさそうだ。満足した顔で店を出ようとした時、おばさんがデジカメを持って「写真、写真」と。店の前で写真を撮った。「また、食べに来てね!」ご飯もおいしいけれど、この言葉が心を満たしてくれる。
新見寿美江 編集者。著書に『韓国陶磁器めぐり』『韓国食めぐり』(JTB刊)などがある。