大韓民国の建国史(239)ベトナム派兵と韓日国交正常化を同時に推進した朴正煕

日付: 2021年06月09日 00時00分

 米軍の当初の派兵目的は防御任務だったが、政治的な指針のため防御に重点を置くことは、米軍には合わなかった。南ベトナム軍がベトコンとの戦いで敗北して地域を放棄、士気が落ちるや、南ベトナムの米軍司令官のウィリアム・ウェストモアランド将軍は、米太平洋軍司令部へ状況は非常に厳しいと報告した。彼は、一定規模の米軍兵力が駐留しなければ、1年以内に「ベトコンが全国掌握」する可能性があると予想した。
太平洋軍司令部から「米軍の持つ戦闘能力、機動力、火力を考えれば十分、民族解放戦線を制圧できると確信している」との回答を得たウェストモアランド将軍は、駐ベトナムの米軍戦略を、南ベトナム軍支援と防御から直接攻撃へと独自の作戦遂行に転換した。これで戦争の主役は事実上、米軍となった。
国際情勢を敏感に見てきた朴大統領は、米国が南ベトナムに派兵する戦闘兵力が不足すると結局、韓国に駐屯中の2個師団を南ベトナムに送る案が出てくるしかないと状況を予測した。朴正領は、「鳩部隊」がサイゴンに到着する前に、すでに米国政府へ再打診した。金炯旭情報部長は1月14日、金顕哲駐米大使と一緒にホワイトハウスを訪問、国家安全保障会議のチェスターL・クーパーに会い、「朴大統領は(ベトナム問題に関連して)、ジョンソン大統領が要請することは何でも喜んで協力する考えだ」と話した。
ブラウン駐韓大使は2月22日、ジョンソン大統領の訪米招請状を朴正煕大統領に伝えた。朴大統領夫妻が5月17~18日、国賓としてワシントンを訪問する招請だった。この招請の最大の議題は、韓日国交正常化会談と関連して両国の関心事を議論することだったが、後で戦闘部隊のベトナム派兵が追加された。
金顕哲駐米大使は1965年3月4日、ホワイトハウスでクーパーに会い、椎名日本外相の訪韓(2月17~19日)と基本条約仮署名などの状況に関する文書を手渡した後、「韓国が戦闘部隊を南ベトナムに派兵すると提案すれば、米国は関心を持つのか」と打診した。クーパーは、「我々はまだ、第3国の兵力を使用する考えを持っていない」と答えた。
李東元外務長官が3月15日、ワシントンを訪問、ラスク国務長官と会談した。
李東元長官は、記者たちに「ラスク長官に、北ベトナムとの交渉に反対する韓国側の立場を伝えた。米国と南ベトナム政府が韓国軍戦闘部隊の援助を必要とするなら、そのような要請を真剣に検討する用意がある」と述べた。この会談で、ラスク国務長官は韓日の基本条約仮署名に満足し、国交正常化交渉の早期妥結を希望した。
李東元外務長官は3月18日、ジョンソン大統領に会った。李東元長官は、彼の回顧録で、この日のジョンソン大統領に、韓国軍戦闘部隊がベトナムへ派兵の際、米国に負担を望む様々な項目を説明し、ジョンソン大統領との口約束を得たと記している。
米国政府は、韓国軍戦闘部隊のベトナム派兵を成功させるため動いた。大統領安保補佐官のマックジョージ・バンディが4月1日、ジョンソン大統領に報告したメモには、韓国軍1個戦闘師団の派兵を前提とした、ベトナム戦の拡大戦略構想が述べられた。
バンディ補佐官は、「国務長官の意見では、韓国の国内事情が微妙ではあるものの、韓国政府と静かに接触、現在南ベトナムに駐留中の韓国軍2000人を補強する形で、戦闘部隊を派遣するようにできそうだ」と言った。
(つづく)


閉じる