ノースコリアンナイト~ある脱北者の物語(52)連載50回に寄せて 私が書き続ける理由

「北送事業」から61年
日付: 2021年06月02日 00時00分

たんぽぽ


春、5月…冬の間に硬くなった体も自然も息を吹き返し、全てが明るく輝く季節だ。
競うように咲きだした花を眺めながら、私も春らしい身なりをしようと考えるも、楽しい気分は一瞬だ。
5月は北朝鮮で一番飢える時期で、生死もわからない兄妹と夫をどうすれば良いかを考える。金氏一族の手中で何も出来ない彼らが、自由世界にいる私を待っていることを思うと心が落ち着かない。しかし彼らが待っている北朝鮮に一刻も早くたどり着くための方法は、ほんの少しもないのが現状だ。彼らが毎日、死に向かう(すでに死んでいるかも)スピードと、私が彼らを助けるためのスピードが全然合わない現状に心が呻吟する中、一つの希望にしがみついて自分を奮い立たせている。
日本に来て法律の勉強をして北朝鮮人権問題の司法的解決を訴える活動に参加している私に、金氏一族は見せしめとして制裁を掛け、私の兄妹と夫には連座制を強いている。4年前から手紙と電話のやり取りなどを全面禁止して、互いの生死が分からないような手段で苦痛を与えている。また北朝鮮にいる彼らには、普通の住民らに与えている移動の自由さえも奪い監視して周りの人との接触を妨げていると聞いた。私からの仕送りも禁止して、食べ物の購入のためには移動しないといけない北朝鮮で、これは彼らを飢えさせて死なせる気なのだ。
周りの人を通じて少しのお金だけでも密かに送ろうとしても、監視されている私の兄妹と夫のところには誰も行きたがらないのだ。
その中で、ともすれば消えそうな希望とは、必ずどんな手段を使っても生き抜いて再び会うのだと、金氏一族の手によって命を奪われるような馬鹿なことをすると絶対許さないと言い、兄妹も夫もそうすると約束したことだ。
脱北の際に家族みんなが家にいないと、住んでいる地域の組織の人民班長が毎朝やっているチェックに引っかかり、すぐ捕まってしまう。そのため後に出発した夫は、脱北ルート上にある検問所で捕まってしまい保衛部という北朝鮮秘密警察監獄に収監された。朝鮮総連との関係が強いおかげで、夫は半年後に監獄から出された。私と組織的離婚をさせられ、地位も失い、革命化労働を科された。不幸中の幸いだが、私だと見せしめとして殺されたかもしれない状況で、夫は朝鮮総連系親戚のおかげで特別配慮がされた。命は助かったが、その精神的・肉体的苦痛を一人で耐え忍んだことを思うと、心が痛い。
北朝鮮では男性一人では生きていけないので、夫は新しい家庭を作って子どももいる。そんな夫が、保衛部監獄のトラウマなどから途中で生きるのをあきらめるのが怖くて、私は約束をもらった。
小さいときに別れた子どもに必ず再会すること、金氏一族が下した離婚ではなく顔を見て生の言葉で、私との結婚を破棄しましょうと、その日まで私は子どもを育てながら待つからと、こんな言い訳でも彼が死ぬのを防ぎたかった。金氏一族の支配下、一人でも死なせない方法が現在これしかないのだ。
連載が50回を過ぎた。
世間に北朝鮮の本当の姿を教えて、北朝鮮のような社会が二度と出来ないようなメカニズムを作りたいという思いも、書き続けている理由のひとつだ。それは北朝鮮に住んでいた我々しか出来ないことで、上手く表現できないもどかしさ、語彙力の足りなさなど自分の能力に見合わず無理をしていることを、読者のみなさんもご承知のことと思う。私自身、本を読むときに分かるし感じるからだ。自分でも気に入らない文章を読者に読ませるのは毎回申し訳ない気持ちだけど、私の下手な文章からでも同じ人間である北朝鮮住民たちの置かれた境遇と人生を知ってもらい、少しでいいから共感と大事な「悟り」を得て欲しい。
50回を機に、名誉ある「統一日報」の編集者を含め、関係者のみなさまにも感謝を伝えます。  (つづく)


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