ゴールデンウイークも過ぎ、街路樹の緑も濃さを増してきた。旅をするにはベストシーズンなのだが、当分の間は空想旅行を楽しんでいる。
韓国は朝鮮時代に儒教を国の基本理念とし、その考えは約600年間にわたり継承されてきた。時代が変わっても良き教えは人々の暮らしの中に残り、そこかしこに継承されている。
朝鮮時代に活躍した大儒学者と呼ばれている一人が李滉で号は李退渓。彼の出身地、慶尚北道・安東には足跡を物語る『陶山書堂』と『陶山書院』が残っている。また安東にはユネスコの世界遺産に登録されている河回村があり、豊山柳氏の同族が暮らす村として知られ、ここからもまた多くの学者を輩出してきた。
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飽きのこない味、塩サバ定食 |
安東を何度か訪れているが、初めて訪れたのは旅行ガイドブックの取材だった。その時、木造建築としては歴史が古いとされる鳳亭寺にも行くことにしていた。冬が近くなった晩秋のころ、寺への道を上っていくと山門の方から「日本人ですね。よく来てくれました」と若い女性が声をかけてくれた。境内を歩き、寺の話しを一通り聞き終わると、彼女からお願いがあると言われ一冊の本を差し出してきた。それは、直木賞作家・立原正秋の著書『冬のかたみに』だった。「これは日本の小説ですね」と言い出すと、彼女は立原正秋と寺の関係を話し出した。彼の父は、かつてこの寺の住職であったこと。立原正秋を知る人物が近くに健在であること。作品の冒頭に出てくる寺は、鳳亭寺であること。これらをまるで堰を切ったように話し出した。そして、話し終わると真剣な眼差しで「この本を日本で買って、次に来るときに持ってきて欲しい」ということだった。この願いに応えたいと思った。「本を探して、連絡をするから」と伝え、携帯電話の番号を教えてもらった。
真剣な眼差しが一変し、彼女は「夕飯まだですよね。安東名物のサバ定食を食べに行きましょう」と声をかけるなり、駐車場に向かい「早く、早く」と。
食堂に入った。大きなポスターに安東名物と書いてある。が、ここは確か海のないところ。いったい何故? 初めての安東だから間違ったかな? などなどいろいろな思いが頭を駆け巡った。立派な焼きサバがテーブルに出された。勇気を出して「どうして塩サバが有名なの?」と訊ねた。
海がない安東では海の幸はとても貴重品だったという。だが、祭礼には欠かせないもののひとつだったため、東海岸の町で魚を仕入れ安東の途中の町(村)で塩をまぶし、鮮度が落ちないようにしたこと。そして、塩をまぶすことでサバはゆっくりと熟成し旨味が増してくるのだと話してくれた。「今は、流通が発達して新鮮な魚をいつでも食べることができるけど、安東の塩サバと言ったら韓国の人はみんな知っているぐらい有名で。塩をまぶした途中の町は、安東にダムが出来た時に沈んだと聞いている」と。
人間の英知から生まれた塩サバ。最初は、市場で塩をふったものと単純に考えていたが背景を知り、目の前のサバが特別な物に見えてきた。まろやかで飽きのこない味わいである。塩サバを囲む小皿料理(バンチャン)が味のアクセントとなり、ご飯がすすんだ。
その翌年の春、彼女から頼まれた本を東京・神田の古本街で見つけ、それを持ってゴールデンウイークに安東へ行った。新緑の柔らかな緑が寺を包み、満面の笑みで山門に立つ彼女の姿が見えた。
それから20年以上の交流が続き、訪れた時には塩サバ定食の店へ行くのが定番になった。今年のゴールデンウイークは、家で塩サバを焼きラインで送った。数時間したころに「また、一緒に塩サバ定食を食べたいね。お互い、いいおばちゃんになったけど韓国は近いから」と元気な返事が返ってきた。
◆新見寿美江 編集者。著書に『韓国陶磁器めぐり』『韓国食めぐり』(JTB刊)などがある。