ノースコリアンナイト~ある脱北者の物語(50)図書館の夜間警備と「コッジェビ」

「北送事業」から61年
日付: 2021年04月28日 00時00分

たんぽぽ


ドンスは図書館が開いている間、ずっと来ていた。10月頃からは私とも打ち解け、私の警備当番の夜も来ていた。停電が普通の北朝鮮では、夜間には本泥棒、窓ガラス泥棒などが頻発しており、図書館は職員が女性だけで夜の警備も女性のみなので襲われる危険性があった。怖いので警備当番の際に家族や友人、外部の人間を連れてきても、警備当番をしない館長と党秘書は他の対策がないので目をつむっていた。
結婚して間もない夫が心配して一緒に警備当番をしようと言ってくれたのを、甥っ子と遊びたくて断った。
私は警備当番のときしか溺愛している甥っ子と遊ぶ時間がなかったので、兄にその日に連れてきてもらった。そこにドンスが加わった。夜の図書館には、私と4歳の甥っ子とドンスがいた。
夜に、たまに家を抜け出し朝に帰ってくるドンスを心配し、ドンスの母(北朝鮮では幹部ではない親を呼ぶ時には子どもの名前をつけて○○の父、○○の祖母と呼ぶ)がついてきたことがある。ドンスの母との初対面だった。
性格が私より活発で、先にいろいろな質問をしてきた。当時はとても内気で人嫌いだった私は、矢つぎばやに質問をする彼女が少し嫌だった。私より5歳上だった彼女があれほど奇麗な人でなかったら、私はおそらく彼女と一言も喋らなかったかもしれない。私の答えは短かった。質問攻めが終わった彼女は、私を見た。そちらから質問はないのか、という表情だった。普段、人が嫌いで興味がなかったから私から話すことはなかった。ドンスの母は自分が会った人の中で私のような反応をする人は初めてで驚いたと、後に話した。その後、彼女から一方的に好意を寄せられ、知り合いになった。悪い人ではない気がしたが、ドンスが死んだときも今も、彼女が好きではない。
彼女は19歳でドンスを産んだ。北朝鮮で23歳以下での出産は、法的な罰則はないが罪とされ、特に「力」のない家庭の女性は社会で非難の対象となった。普通は24歳から結婚していた。私の姑が20歳で夫を産んでも非難されなかったのは、お金持ちだったからだ。田舎は結婚が早くても労働人口不足で問題にならなかった。
「労働人口」は北朝鮮で使用しない言葉で、私は人=労働力という表現は理解できないから使わない。
ドンスの母は、田舎で労働人口に貢献したくて19歳で出産したのではない。ドンスを妊娠したときは産みたい気持ちが強くてお願いをして出産できたと、彼女は言った。彼女は15歳ごろからの性行為で妊娠と中絶を繰り返していた。それが面倒臭くなった「夫」が、ドンスを妊娠したときに中絶手術と不妊手術を一緒にしようとしたが、彼女が頼み込んでドンスだけを産ませて、あとは妊娠出来なくなる手術を受けた。
彼女はドンスをとても愛していたが、私は彼女の愛が分からなかった。
ドンスの家は図書館から近かった。彼女はその後、私が警備当番のときにお菓子などを持って来てくれた。ドンスに持たせればと思ったが、後にドンスが嫌がっているのを知った。ドンスと彼女の雰囲気は妙だった。何年後かにそのわけを少しだけ理解できた。
ドンスの家はそんなには貧しくなかった。1995年「苦難の行軍」当時は、親が子どもを食べさせられなくて道に追い出した。それで「コッジェビ」と呼ばれる乞食が北朝鮮で出始めた。「コッジェビ」とは「花+燕」の音読みだ。北朝鮮で「乞食」は禁止用語で、新しく出来た用語だ。「ジェビ(燕)」に「コッ(花)」は人を表す。鳥ではなく、人が燕のように群れで移動しながら物乞いをするという意味だ。物乞いを一人ですると、他の集団に暴力を受けたりしてとても危険だ。
2021年4月9日の党の細胞書記大会で金正恩は再び「苦難の行軍」を宣言した。北朝鮮の歴史がずっと「苦難の行軍」なのに今更のような宣言に、金氏3代の図々しさには驚きもないのだ。(つづく)


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