韓国スローフード探訪47 薬食同源は風土とともに

江陵のビジチゲと優しい思い出
日付: 2021年03月03日 00時00分

 陽ざしに春の訪れを感じる3月下旬、江原道の江陵(カンヌン)を訪れた時のこと。この街にある草堂スンドゥブ村から、ソウルへ戻るために高速バスターミナルへと向かった。ソウル到着は午後8時ぐらいのチケットを購入し、発車時刻までは少し時間があった。売店で飲み物でも買おうと思い、キョロキョロしながら歩いていると何軒かの食堂が目に入り、豆腐料理の写真がいくつかあった。ついさっきまで『草堂スンドゥブ村』で豆腐料理を食べてきたのだが「ビジチゲ」は食べていなかった。
3月とはいえ、夕方近くになると真冬なみの寒さだ。店を見てみると、料理が出てくるのも早いし食べるのも早い。「これなら、少しだけでも味わってからバスに乗れる」と判断して中へ。店の人は日本からの観光客とわかったのだろう。「バスの時間は」と聞かれ、チケットを見せると「すぐに」と。本当にすぐにあつあつのビジチゲが運ばれてきた。熱くてすぐには食べられそうもないな、と思っていると隣の席の人がこうやって混ぜるといいからと言いたげに、動作で示してくれた。なるほど。食べ始めようとするとまたもや隣の人が、キムチを入れるとさらに冷めてくるからと韓国語で言いながら「こうやって」と。「えっ、もう食べ終わったの?」早い。隣の人は笑顔で立ち去った。一口、二口と時計を見ながら食べ続けた。
ビジとは、おからのこと。チゲは鍋。韓国の江原道は山岳リゾート地として知られ、東海に沿うように南北に広がる地方。大豆やじゃがいも、そばの栽培が盛んなところでもある。この地方にある江陵は豆腐の産地で知られ、豆腐作りをする人たちが集まる『草堂スンドゥブ村』は江陵の観光スポットにもなっている。
その昔、この地に住む両班が海水を使った豆腐作りを教えたとされている。海水を天然のニガリとしたもので、今でもその手法は受け継がれている。特産の大豆を茹で、絞って豆乳を作り、そこに天然のニガリを入れて豆腐が出来上がる。その種類は、固いもの・少しやわらかいもの・やわらかいものと大きく3種。豆乳ができる時に出るのが「おから」。食物繊維が多く、高たんぱく低カロリー。カルシウムやビタミンB2など栄養素も豊富で、イソフラボンやサポニンを含むまさにスーパーフード。さらに炭水化物に含まれるオリゴ糖は腸内活動を活発にする働きもある。このおからに豚肉(事前に味をつけておく)、キムチ、ネギなどの野菜を入れて醤油ベースなどで煮る韓国の家庭料理。
バスの時間を気にしながらビジチゲを半分ぐらいまで食べ進んだ。「もう少し食べようか」と思ったが、乗り遅れては大変。時計を見ながら代金を払って出ようとすると、店の人がキムチを入れた容器に輪ゴムをかけながら「ホテルで食べて」と渡してくれた。思ってもいなかった気遣いに「ありがとう」を繰り返した。ソウルに向かうバスの中で、さっきの出来事があまりにも嬉しくてポカポカ気分に。ビジチゲを食べたからということもあるが、いろいろとアドバイスをしてくれた隣の人の親切さ、そして店の人の優しさ。ビジチゲを食べると、いつもその時のことが思い出される。
コロナで自宅にいる時間が多くなり運動不足になりがち。免疫力も上げたいし。そんな時にスーパーでおからを買い、釜山で買った鍋におからと炒めた豚肉、キムチ、ネギを入れて自己流のビジチゲを作って楽しんで食べている。おかずには、黒豆、小魚、ナムルなど6種類ぐらいを小皿で。免疫力をアップするには持続させることが大切。そう思って、日曜日の比較的すいている午前をねらい韓国食材を扱うスーパーまで散歩をするようになった。春はもうすぐ。

新見寿美江
 編集者。著書に『韓国陶磁器めぐり』『韓国食めぐり』(JTB刊)などがある。


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