大韓民国の建国史(224)韓国の近代化の主役たちを養成した偉大な軍隊・国軍

日付: 2021年02月10日 00時00分

 朴正煕によって本格化した韓国の近代化、産業化には李秉喆(サムスン)、鄭周永(現代)に代表される企業の献身があった。彼らは普通の政治家と違って20年、30年先を見て投資し経営し人材を養成、訓練した。
韓国の経済成長を「圧縮成長」というが、この圧縮成長を牽引したのは、実は「圧縮成長した教育」だった。植民地時代、韓半島で4年制大学は一つだけだった。解放当時、韓国には大学生が1万人(専門大学や師範大学などを含む)だった。解放直後の1946年、小学校教師1人当たりの生徒数は76・2人だった。
李承晩建国大統領は自由民主主義を定着させる基本が教育であるという信念で、教育入国を目指した。45年64%だった小学校就学率は、3年後74%になった。6・25戦争で教室が破壊されて、貧弱となった教育財政の中でも、59年の就学年齢の96%の360万人が小学校に通った。 
小学校卒業者の増加は、そのまま中・高校進学率の増加につながった。65年は中学校から高校への進学率が69・1%になり、大学も70校以上に増え、大学(専門大学を含む)進学率も28・9%と急増、大学生は10万人となった。
朴正煕は近代化・工業化に必要な機能人材、高級人材育成のための理工系に投資した。実業界と工業高校を設立、大統領が直接、海外の人材をスカウトした。しかし、教育への投資にも莫大な財政が必要だった。ところで韓国では、国家予算で運営される途方もない巨大教育機関があった。それは軍隊、大韓民国国軍だった。 
大韓民国は共産陣営との死闘の過程で、韓半島歴史上、最も近代的な巨大な軍隊を持つ国となった。大韓民国は共産主義との戦いを通して作られ、鍛えられた国民国家である。実際、韓国だけでなく、第二次世界大戦後独立した国々の中で国家建設、近代化に成功した国々(イスラエル、台湾、シンガポールなど)は皆、戦争や極度の安保上の脅威、負担を克服して国家建設に成功した国々だ。生存のためのすさまじい努力と覚悟が成功的な国を作る。
現代的軍隊の建設は、高度の訓練はもちろん、科学化と合理化を追求する。大韓民国は兵役の義務があるから、丈夫な男性は、誰もが軍隊の構成員になる。これはつまり、近代化・科学化された組織の一員としての訓練を受けることになることを意味する。大規模の陸軍を必要としていた韓国は、入営した低学歴の国民を軍が必要とする人的資源へと訓練するしかなかった。60年代にも、少数ではあるものの、文字が解読できない人も入営した。彼らは入隊後、軍隊で文字を習った。 
当時、陸軍の場合、5大戦闘兵科である歩兵、砲兵、機甲、工兵、通信を中心に数多くの専門兵科があった。戦闘兵科の場合も、車両を運転し、重機を操作、電気や通信機器を扱う方法などを軍隊が短期間に教えた。
36カ月間、陸軍で服務しながら身につけた機能・技術は、彼らが除隊後、そのまま職業となった。例えば、建設現場に不可欠な重装備を扱う機能を習得するには、お金を払って学ばねばならない。だが、当時、そのような機能・技術を教える民間学院そのものがなかった。 
海軍と空軍の場合は言うまでもない。高度な専門知識と技術を要する分野は職業軍人が担当したが、義務服務で入隊する兵士たちも、高度の専門知識と技能訓練を受ける。何より、軍隊組織と訓練を通じて高度に組織化された現代社会に必要な市民が養成された。
(つづく)


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