大韓民国の建国史(221)韓国社会の葛藤構造の深淵、民主主義と統一戦線

日付: 2021年01月20日 00時00分

 朴正煕議長がケネディ大統領の葬儀に出席しているとき、韓国では、第6代国会議員選挙の投票と開票が行われた。総選挙は国内外の予想とは逆に共和党が圧勝した。20代から40代が全体当選者の3分の2で、有権者は朴正煕が訴えた世代交代を支持したことが分かった。40代の朴正煕と30代の金鍾泌に象徴される、若い国家エリート集団が二度の選挙を通じて、韓国社会の中心部に登場した。この選挙で金泳三と金大中も釜山と全羅南道で当選した。
尹ボ善に代表される60代の旧政治勢力は、もっぱら西欧式民主主義だけを金科玉条として主張した。しかし、彼らは儒教的価値観を隠していただけの根本的に革命を拒否するしかない守旧勢力だった。守旧勢力は韓国国民が望む近代化へのビジョンを作る意欲も能力も欠けていた。この守旧勢力が選挙で近代化革命を打ち出した若いエリート集団に押されたのは、歴史の避けられない流れだった。
ところが、彼らは歴史の向こうへ消えたのではなく、すぐ再生した。皮肉なことに、彼ら守旧勢力を救ったのは韓国社会の大学生だった。この旧政治勢力は、執拗な宣伝・扇動を通じて、10代後半から20代前半の大学生を彼らの味方にすることで、政治的生命を持続することになる。老獪な守旧勢力は、彼らの政治的目的のために「民主化」と「反日民族主義」(反日種族主義)を名分であると同時に道具として徹底的に利用した。
情熱だけの未熟な大学生たちが近代化革命を推進する勢力を拒否し、反日感情の刺激と西欧式民主主義の全面的(無条件)実施を主張する守旧政治勢力の側に立ったのは以降、韓国の政治と知性史における深刻な緊張と葛藤の原因となる。韓国の「民族主義」は、世界との通商を中心に近代化と自立を追求する海洋文化志向の開放的民族主義と、観念的な民主主義と閉鎖的自立路線を目指す「反日種族主義」に区分され、対立することになる。
平壌側は、韓国社会のこの葛藤構造を統一戦線戦術に徹底的に利用した。特に、東西冷戦構造の中、世界共産圏の全面支援の下、李承晩と朴正煕大統領が率いた、反共自由民主主義の建国と近代化推進の主体を国内外に「独裁政権」と罵倒する政治心理戦で成功する。
李承晩・朴正煕大統領を批判、抵抗してきた守旧政治勢力や彼らに扇動された大学生らが、反共政権によって壊滅された南労党残党と金日成(平壌側)の統一戦線戦術に(意識・無意識的に)利用されるようになったのは、国家安全保障に大きな負担となる。
いずれにせよ、1960年代初めの大学生たちは、民族主義的自主路線を主張した。一方、高い次元で世界情勢の流れを読み、現実に即して近代化の目標へ邁進する朴正煕は、米国も求める韓日国交正常化の実現のため日本に接近し、同時に安全保障と経済の二つの戦略目標を追求しベトナム戦争への派兵を決断した。大学生たちとの対立、摩擦は避けられなくなった。
革命とは既成の政治勢力、あるいは既得権層の利益を制限、剥奪することになるため、革命の対象である彼らの支持、協力を得ることは期待し難い。朴正煕政権は守旧政治勢力が大学生たちと大衆を扇動し抵抗したとき、彼らを抑え制圧するための手段が非常に限られた。平壌の金日成は、このような朴正煕政権の弱点を狙って、朴正煕打倒を扇動することになる。ところが、同盟である米国、その国務省内のリベラル左派は共産主義ではなく、朴正煕を攻撃することになる。
(つづく)


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