キスン便り(第31回) 韓国と日本の相違16 イグノーベル賞

日付: 2021年01月14日 00時00分

 今回はイグノーベル賞から見た韓日の違いです。イグノーベル賞というのは一九九一年から始まったノーベル賞のパロディで、皆が笑える真面目な研究をした人に与えられます。日本人は二○○七年から二〇二〇年まで十四年間連続して受賞していますし、それ以前においても殆ど毎年のように受賞者を出しています。対して韓国は私が知る限りでは、二〇一七年に受賞例があるだけです。バージニア大学のハン・ジウォンさんは、コーヒーを持って歩くときにどうしてこぼれるのか、という研究をして受賞しました。韓日でこれだけ顕著な差が出る原因はどこにあるのでしょうか?
日本にはオタクの存在を許す文化があります。何か一つのことを真剣にやっている人にはちょっかいを出さず、やりたいようにさせておく、という文化です。怖らく日本人はそこに神の原型を見ているのではないかと思います。
日本の昔ばなしに三年寝太郎というのがあります。何の役にも立たない男が、ある日突然起き出して灌漑事業をやり遂げるという話です。また、座敷童というのがあります。部屋の中を走り回ったり、いたずらしたりする子供の妖精ですが、この子がいなくなるとその家は没落してしまいます。こうした事例から、日本人は無能の者に神の姿を見ている、と知る事ができます。
神さまは畏れ多く、下手にいじくると祟りがあります。だから「触らぬ神に祟りなし」で神を思わせる「オタク」には手を出さないのだと思います。ここでの神さまはお日様や風や川や海の延長線上にある自然の神々です。無意識の神といっても良いでしょう。これに対して大日如来であるとか、不動明王であるとか、名前のついている神がいます。名前がついている神は人間のために働く神であり、いわば人間の都合で作り上げた自分たち用の神です。しかし祟りを起こす神は、人間と共存している神であり、人間の都合で動いてくれる神ではありません。人間がこちら側にいるとすると、神は異界の存在です。だから良いことをすることもあれば悪いことをすることもあります。「オタク」は人の世と異界との境目に居ます。だから人間は祟りを怖れて彼等に近寄ろうとせず、したいようにさせておくのだと思います。
こうした文化が明治維新では良い方向に作用しました。蘭学を学んでいた人たちは、いわばオタクの集団でした。彼等はしたいようにすることができたので才能を伸ばし、本を読んだだけで蒸気機関車を作れば反射炉という製鉄所まで作るという離れ業をやってのけました。オタクが存在できる文化があったればこそです。
対して韓国では、学問は立身出世のためにします。自分が知りたいからと、ゼニにもならないことはしません。これは韓国儒教の弊害です。韓国儒教の価値観からは、オタクは存在が許されません。
今ひとつは国が常に侵略され続けてきたということがあります。三千年間逃げ惑ってきた民族ですから、平和なときも難民根性が抜けません。何でもパルリ、パルリ(早く早く)ですし、安全を求めてうまい話があれば飛びつくし、既得権を獲得すると離そうとしません。結果として弱いものいじめをしてしまいます。
韓国の会計士一家と遊園地で遊んで戻って来たとき、私は車中で寝た自分の子供たちを「寝かせておけ」と言いましたが、韓国の会計士は「起こしてメシを食わせなければならない」と言うのでした。日本では「寝た子は起こすな」ですが、韓国では食べられるときに食べておけ、です。そうでないと侵略者がやって来てメシを失うかも知れません。韓国人の心は平和なときでも難民なんだ、と知りました。

李起昇 小説家、公認会計士。著書に、小説『チンダルレ』『鬼神たちの祝祭』、古代史研究書『日本は韓国だったのか』(いずれもフィールドワイ刊)がある。


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