韓国でタクシーに乗ると、本国の人が在日をどう見ているか良く分かります。運転手はこちらが日本から来たと知ると、日本非難を始めます。教科書問題はけしからん、日本の歴史認識はけしからんと言います。私も韓国人なんですけどね、と私が言うと、
「日本に住んでるんだろ? だったら日本人だろ」
「在日は韓国人ですよ」
「在米同胞はみんなアメリカ人じゃないか。在日同胞はどうして日本人じゃないんだ」
国籍の属地、属人主義の話をしても分からないだろうと考えながら私は言います。
「アメリカ人が韓国で子供を産んだら、その子は韓国人になりますか?」
「え? それはたぶんアメリカ人だろうな」
「在日も同じですよ。韓国人は日本で生まれても韓国人です」
それから運転手は、韓民族は子供に民族教育をしない駄目な民族だと非難し始めます。
「中国人はみんな中国語を話せるのに、韓国人は子供に言葉を教えない。どうしてみんなそうなんだ」
と私が悪いかのような言い方です。
「運転手さんはフランス語出来ますか?」
「フランス語? そんなもん出来るわけないだろ」
「どうしてできないんですか?」
「そんなの習ったことないもの。出来るわけないよ」
「在日も同じです。習ったことがないから出来ないんです」
「え? それは違うでしょ。親が教えないからそうなんじゃないの。民族意識がないんだよ」
「運転手さん、今週、子供と何回話しました?」
「え?」
と考え込んで絶句です。私は言います。
「忙しいから、朝、ご飯の時に顔を合わせるぐらいでせいぜいじゃないですか? その時に言う言葉といえば、パンモゴラ(メシ食らえ)ぐらいのものでしょう。子供は家から一歩外に出れば全て日本語です。毎朝一言か二言しか子供と話す時間がないのに、そんな状況で、民族心さえあれば言葉が出来るようになると思いますか?」
「学校はないの?」
「都市部にはありますよ。しかし田舎にいる在日は韓国語に接する機会も、教育を受ける機会もありません。それで言葉が出来るようになれというのは無理でしょう」
「お客さんは言葉出来るじゃない。どうして出来るの?」
「私は例外です。たまたま勉強するだけの金も時間もあったからです。しかし、その日の生活に忙しい人たちに勉強をしろというのは無理でしょう。例外を全体に求めるべきではありません。在日は例外的な人間しか言葉が出来ないんですよ。そして在日の多くは運転手さんが仕事で忙しくて子供と話す時間もないのと同じで、時間がないんです。言葉が出来ないのは当たり前じゃないですか?」
政治が大好きで人を非難したり、こき下ろすのが大好きな運転手は、やっと黙り込みました。他人を非難する閑があったら自分を反省しろ、と言いたくなります。
韓国人は自分の思い通りに行かないと、直ぐに犯人捜しを始め、責任の全てを誰かに押しつけようとします。そして自分だけは清く正しく美しい韓国人であろうとします。詩人の尹東柱は己の精神を高めることでその境地に至ろうとしましたが、多くの韓国人は厄を誰かに押しつけて終わりです。しかし、それでは問題の解決にならないことは歴史が証明している通りです。二度と同じ失敗を繰り返さないようにするには、なぜ日本にやられたのかを冷静に分析することから始めるべきです。歴史認識の是正は、韓国にこそ必要なものです。
李起昇 小説家、公認会計士。著書に、小説『チンダルレ』『鬼神たちの祝祭』、古代史研究書『日本は韓国だったのか』(いずれもフィールドワイ刊)がある。