ノースコリアンナイト~ある脱北者の物語(43)「苦難の行軍」がもたらした北の凄惨な冬

日付: 2020年12月02日 00時00分

 昨年12月から登場した「コロナウイルス」という単語を毎日聞きながら、2020年も最後の月となった。人の顔はマスクで半分しか見えず、知り合いでも分からない時代になってしまった。世界に不安な時間だけが流れているようだ。
不安というものは先が見えないときに生じるものだと、北朝鮮での自分の経験からわかっている。時間がかっても遥か遠くにあっても、ほんの少しだけでも「終着」する所があると不安は生じないが、現在のコロナ状況は不安だらけだ。
危機にある時、人類は「知恵の本能」で賢く動くが、政府まで「知恵」の対応策を毎日繰り返しているから不安が増しているのではないか。
マスク・手洗い・3密などの「知恵」は個人が知っていることで、政府と専門家は社会の不安を最小限にして、全体のバランスを取るのが務めだと思う。
「コロナウイルスの生存条件は」「子どもと高齢者の差は」「特殊な状況下で保つルール」「手洗いで汚れる自然環境」など多くの予測不可能な現状に、政府と専門家の「能力」が欠けている。北朝鮮と比べるべくもない、安定した社会システムを持っている日本で自殺者が続出しているのでは…と、北朝鮮で鍛えられた「不安に強い」私も不安な日々を過ごしている。
世界が知っているように9月に、北朝鮮はコロナ陽性判定もない韓国人公務員を海上で銃殺し燃やした。北朝鮮政府と金氏一族の危機管理、危機対応の事情が垣間見える事件であった。北朝鮮がコロナウイルス感染者ゼロを世界にアピールすればするほど、私はその「感染者ゼロ」の意味を知っているからどんどん怖くなる。
12月、出来るならカレンダーで12月を消すか私の記憶を消すか、どちらかをしたいつらい12月である。北朝鮮が極度な経済難を「苦難の行軍」と命名した時期に街中にあふれた死体を、組織別に担当町を決めて処理したことについては何度も述べている。12月から3月ごろは丸く固まっている死体をまっすぐにすることが言葉にできない大変さで、私はその光景を何回に分けて、なるべく軽く書くので各自想像してくださると助かる。具体的に、一遍に書こうとすると私が途中で体調が悪くなるのでご理解願いたい。
もともと火葬の風習はないが、敢えて言うなら綺麗で簡単な火葬をしたいが、その場所もないし火葬用の油もなく、それに国の指示が「集団埋葬」となっているので、冬の凍った地面を掘るしかないのだ。国の指示に「集団埋葬」以外の項目がないので、埋める側の良心などによって埋め方が違った。
死体処理指示が来ると、先ずは1秒でも早く担当区域の死体を何処かに移動しないと検閲官に怒られるし、必ずしないといけないことだから早く終わらせた方がいいのだ。担当区域から処理することで最善は自分の区域警備だが、それも難しい。2番目は担当区域から隣の区域に移動させることだが何カ所もある隣区域班とのもめごとが大変だった。3番目は、近くの山に埋めることは禁止だからリヤカーで運んで遠い山に捨てたり、埋めるふりをするが動物などが食べて気分が悪いのだ。冬は埋める穴を掘るのが1日で終わらないから班を2~3組に分け交代して掘り、最後の日はみんなで作業して終わらせた。
亡くなった人たちとは面識がないけど、私の班は出来る限りの誠実さで仕上げた。
やっと掘った穴を効率よく使うためには死体が真っ直ぐでないといけなくて、男性たちがお酒をいっぱい飲んで酔って作業をしていた。冬には固まった死体からポキポキ音がして、天気がいい日は静かな山に響くのだ。作業をしている生者と死者の差を感じない地獄の音と風景だった。
政府と政治がしっかりしないと、人の尊い命が無惨に奪われる歴史をしっかり反芻すべき時期であると思う。(つづく)


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