大韓民国の建国史(218)朴正煕時代を共に開いた金鍾泌の復帰

日付: 2020年12月02日 00時00分

 金鍾泌は10月23日、出国して以来、8カ月ぶりに帰国した。彼は金浦空港からそのまま奨忠洞の最高会議議長公館の朴正煕議長を訪ねて挨拶をした。その三日後、犬猿の仲であるサムエル・バーガー駐韓米国大使を訪ね、約1時間話しをした。そして10月29日、自分が作った共和党へ一般党員として復党した。
彼は「韓国の近代化を妨げる一切の封建的遺制と植民地の残滓を一掃するため若い世代は総決起せねばならない」「私は古い権威に挑戦する新しい開拓者の騎手になりたい」と宣言した。30代後半の金鍾泌は故郷の扶余から国会議員選挙に出馬を表明した。
第6代国会議員選挙運動期間中、ソウルの主要大学は連日、金鍾泌と張俊河などの政治家を学校に招いて討論会を開催した。
金鍾泌は11月4日、高麗大学総学生会が主催した学術思想大講演会に参加し「われわれの民族主義は、反共を柱とし自由民主主義を背景として、自立経済と強力な指導力を確立しなければならない」と力説した。「革命の後、仕事をするなどし、意欲過剰の亡命でない亡命生活をして帰ったら、周りの人々は、少し休みなさいと言います。しかしそのたびに私は、休息は死んだ後、腐るまで取ると答えています」と言った。
金鍾泌は11月5日、ソウル大学校の政治学科が主催した公開政策討論会に出て学生との議論にも応じた。彼は学生から「共和党が掲げた民族主義・民族的民主主義とは何か。アジア・アフリカの反帝国主義的民主主義、教導民主主義、ナセリズムなどとはどういう関係にある」という質問に答えた。
「朴正煕式の民族主義は三つの面で説明できる。『外国の買弁資本に買収された経済的植民地のような地位から脱しよう』『事大主義・守旧主義だけでなく、自由放任的退廃思想からも脱しよう』『無闇な反米ではなく、生活の周辺を取り巻いているヤンキーズムから脱しよう』ということだ。国会の内外に新しいエリート層を形成し、国民の監視によって国会が経済発展に力を集中するようにせねばならない。スカルノやナセルの民族主義は、自由民主主義を基盤としていないが、われわれの民族主義は反共精神を柱にし、民主発展を期ししようという点で異なっている」
統一方案に対する学生の質問に対し、金鍾泌は「統一方案は(1)第3次世界大戦を通じての方法(2)南北戦争を通しての方法(3)そしてわれわれの国力を忠実にした後、私たちが望む方向に統一する方法がある。われわれは外勢の力を借りるか戦争を通して統一をしてはならない。われわれが国力を養えば、共産体制でない自由世界での統一を成し遂げるだろう」と答えた。
金鍾泌が若い大学生たちと公開の場で堂々と議論をしながら、遠慮せず米国の政策を批判したことは、彼の大衆的人気を高めるのに大きく寄与した。このときの大衆的記憶は、後日まで金鍾泌の政治的資産となった
金鍾泌は朝鮮日報11月8日付に「韓国の近代化と新しい指導勢力」というタイトルの寄稿文を通して、自分の歴史観と政治哲学、ビジョンを明らかにした。
「韓国のあらゆる問題は、韓国で生まれ、韓国で生き、韓国で死ぬわれわれが解決しなければならない。特に新しい歴史意識に目覚めた若い新しい世代によって、韓国の問題は解決されねばならない。韓国の近代化を推進する理念と勢力が必要である。民族的民主主義と民族的指導勢力がそれである」
金鍾泌は11月の総選挙で当選した。(つづく)


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