大韓民国の建国史(216)熾烈な選挙戦の中、米国の支援を期待する尹ボ善

日付: 2020年11月18日 00時00分

 米中央情報局(CIA)の特別報告書(10月11日付)は、以下のように続く。
「1948年以来、ほとんどの政治的争点は、本質的に権力を握った勢力と権力を持たない勢力の戦いで、政治的な忠誠心は政党と政策ではなく、政治指導者個人に捧げられた。10月15日の大統領選挙と11月26日の総選挙も、このような韓国政治の法則から大きく逸脱しないだろう」
CIAの報告書は、大統領候補たちを分析した。「朴正煕は民族主義者だ。彼は今回の選挙で反米感情を煽っているが、これは中立路線を含んでいる」と指摘した。これはCIAが朴正煕を危険人物と判断していた証拠だ。そのためCIAは金鍾泌が朴正熙を助けるため、早期帰国することを阻止した。
CIAの特別報告書は、尹ボ善候補に対しては、「彼は(5・16軍事革命の際)軍部が自分を支持し政権を取るようにすることを期待して、鎮圧軍を動員しなかった。朴正熙が彼に政権を渡さないことが確実になってから大統領職を辞任した」と記述した。駐韓米国大使館内では、革命政府の核心に左翼ないし共産主義前歴者が影響力を行使していると憂慮していた。
結局、大統領選挙は、朴正熙対尹ボ善となった。尹ボ善は投票日の2日前に、朴正煕が南労党出身で、軍法会議で無期懲役を宣告されたという事実を暴露した。だが、10月15日の大統領選挙で朴正煕候補は470万2640票を得て当選した。尹ボ善候補は454万6614票で、わずか15万6026票の差であった。朴正煕はソウル、京畿、江原、忠清地域で大敗したが全羅道、慶尚道、済州島で圧勝した。
米情報機関は、国務省の非常計画を樹立せよという指示によって、選挙当日、投票を終えた尹ボ善夫婦を彼らの施設に避難させて選挙結果が出るまで2日間保護した。米国が韓国の野党指導者を保護したのは初めてでない。52年の「釜山政治波動」(6・25戦争中、李承晩大統領が臨時首都の釜山で、大統領を国会が選出するものではなく、国民の直接投票で選出するよう改憲するため52年5月25日、非常戒厳令を宣布し、国会を無力化した措置)の時も、米国は李承晩大統領に挑戦した張勉を隠し、保護したことがある。
張勉は、李承晩大統領の下で副大統領職を務めたときも、米国側に、もし大統領が事故で欠位のときは、自分が大統領代行に就任するまでの約48時間、身辺保護をするように要請したことがある。張勉は5・16軍事革命のときも、米国人の修道院に逃避した。
選挙期間中、国軍はおおむね中立を保った。朴正煕とよく酒を飲んできた閔機植陸軍参謀総長は、近代化への朴正煕の情熱と努力に感服して、個人的には朴正煕候補に投票するとしたが、軍の司令官たちには何の指示も出さなかった。
朴正熙候補は当選が確実になった10月17日の午前、慶州仏国寺観光ホテルで記者会見をした。彼は「政局の安定、自立経済の達成、指導体系の確立を期し、祖国近代化のための強力な政治をする」と言った。朴正煕は「西欧の民主主義をそのまま韓国に適用することはできない」と強調した。
「われわれの民主主義は、一言で言えば、中学生レベルのものです。中学生たちに劇場の出入りを制限し、酒とタバコを禁じるのと同じように、韓国の民主主義もある程度の制限が必要ではないかと思います」
尹ボ善は「投票では勝ったが開票で負けた」と言い、自分が「精神的大統領」と言い出した。
(つづく)


閉じる