日本が二回目に狂ったのは明治維新の時でした。西郷隆盛の征韓論は失業した武士に戦場という職場を与えるためでした。彼も秀吉と同じく失業者対策のストレスに負けて韓国を侵略しようとしました。
朝鮮を支配してからは軍閥が暴走して、日本は手痛い敗戦を経験します。軍部はどうして負けると分かっている戦争に突き進んだのかを、多くの学者が研究し、その結果を発表しています。私もその内のいくつかは読みましたが、いずれも私からすると、とんちんかんな的外れの見解です。詰まるところ日本自身、自分たちが失敗した根本原因を分かってないということです。原因を知らないのでは、三度目があると思わなければなりません。
日本の歴史で特異なことはいくつかありますが、その内の一つに、武士が何百年も政治を主導した、ということがあります。日本以外の国では、一時的に戦争の英雄が政治を担うことはありますが、武士という戦争の専門家たちが何百年も権力を維持したことはありません。これは世界でも唯一、日本だけです。韓国でも中世以降はヨーロッパと同じで、高麗の始祖王建や朝鮮の始祖李成桂以外は、文官が国を治めました。ただ例外的に高麗では百年間武官が政権を握った武臣政権(一一七〇~一二七〇)の時代がありました。しかし、これは蒙古の侵略(一二三一~一二五九年)のために長期化した側面があるので、日本のように平和な時代を治めていたのとは事情が異なります。
日本がこのように特異な歴史を持つに至ったのはなぜか? 武官は予算を獲得するために、簡単に戦争を始めてしまう人たちです。そして戦争をするには異民族が必要です。仮想の敵であり、仮想の憎しみを向けられる人たちが居てこそ初めて、軍人はドンパチを始められるのです。しかし異民族と接していない日本では、平清盛から明治維新まで七百年近く武士が国を治めることができました。武士は予算確保のために戦争をする必要がありませんでした。島国だったお陰で武官政治の欠点が表面化しなかったのです。そして欠点に気がつかないままイギリス型の議院内閣制による王制ではなく、プロイセン型の天皇が直接統治する王制を採用します。これが全ての間違いの始まりです。軍人は天皇の統帥権を理由にして、自分たちの利権確保のために戦争を始めます。異民族と国境を接するときは、軍人に国を支配させてはいけない、という鉄則を日本は守ることができませんでした。
日本の学者は軍という組織の存在それ自体には何の疑問も挟まずに、その後の組織の腐敗ぶり、個人の無能ぶりばかりを分析しています。ナンセンスです。軍人が政権を握れるような制度設計をしたこと自体が間違いだったのです。そこから先は誰がやっても必ず戦争に突き進みます。試験で人を採用する限り、組織には一定割合の、知識だけある馬鹿者が交じります。その者たちが予算や利権の確保を国益に優先させて、戦争に突き進むのです。日本人は自分たちの失敗の原因がそこにあったということを知りません。だからシビリアンコントロールが崩れると、日本は必ずまた狂うと思います。韓国はそれに備えておく必要があります。一方で日本は狂うまでは同盟国であり、友好国です。日本に平和憲法がある以上は、日本が戦争を仕掛けることも、原爆を持つことも絶対にないと言えます。しかし軍人が政治を握るようになると、その時は分かりません。
日本が国民投票のような冷静な判断ではなく、中国の離島占拠などで、熱に浮かされたまま、なし崩し的に軍隊を持つようになると、さて、どうなりますか。日本のように法律を守る国が法律を無視し出すと、歯止めがきかなくなるでしょう。三回目があるなら過去二回と同様、日本は失業者対策としてドンパチを始めると私は見ています。
李起昇 小説家、公認会計士。著書に、小説『チンダルレ』『鬼神たちの祝祭』、古代史研究書『日本は韓国だったのか』(いずれもフィールドワイ刊)がある。