大韓民国の建国史(215)民政移譲を控え緊迫した政局、そして米国の関心

日付: 2020年11月11日 00時00分

 朴正煕は旧政治家たちのように”権力のための権力”を追求しなかった。朴正煕が権力を必要としたのは、近代化を推進するためだった。朴正熙は人気を得ようとせず、革命を夢見たときに設定した明確かつ具体的な目標を追求した。朴正煕は民政移譲に参加しながら、熾烈な権力闘争を通じて韓国人と韓国政治をどう取り扱うかで苦心しながらも、革命課題を実践していった。
革命政府は、「勤労者の日」制定に関する法律公布(4月17日)を行った。そして近代化に必要な産業の担い手を排出するための職業再活院も開院(9月25日)した。朴正煕は近代化革命のために、安定した政治的基盤が不可欠であることを痛感することになる。
大統領選挙を前に、野党と旧政治家、在野人は軍事革命と軍事文化に対する強い拒否反応を示した。革命に参加した若い将校たちは、この野党と在野の挑戦に堂々と立ち向かった。当時、新聞紙面を通じて展開された、在野の咸錫憲と最高会議公報秘書の李洛善中領(中佐)の論戦は、新旧の世代の認識と覚悟をよく示している。
前大統領の尹ボ善は7月5日、野党統合による単一候補を実現するため、民政党の大統領候補を辞退すると発表した。民政党、民友党、新政党を統合することとし、「国民の党」発起人大会まで開いた。だが、党派間の妥協は進まなかった。
朴正煕議長は8月14日、民政移譲のための選挙の日付を確定して発表、8月30日、共和党に正式入党、党総裁に就任した。大統領選挙は10月15日、国会議員選挙は11月26日に決定された。民間政治家たちは一つの政党として団結すべきだったが、尹ボ善前大統領と許政前首相を中心とする勢力に分裂した。
9月15日に登録した大統領候補は7人だった。選挙戦は、理念と思想論争の攻防が続いた。この大統領選挙を観察していた米国は、尹ボ善候補が意外な善戦を続けるや緊張して注視する。ラスク国務長官は10月4日、バーガー駐韓大使に「許政候補辞退などで、できた野党ブームのために、尹ボ善の勝利の可能性を排除できなくなった。政府内の強硬派が民主的な手続きに反する過激な措置をとることに備えた計画を立てよ」と指示した。
バーガー大使は10月9日、ラスク国務長官宛の電文を通じてこう報告した。
「現在は、朴正煕が選挙を延期したり、尹ボ善を逮捕するとは見られない。しかし、軍部は選挙で敗北した場合、その結果を受け入れず、極端な措置をとる可能性が大きい。その場合、米国政府は、軍部に圧力を加えてそのような措置を変更するか、軍部への支持を撤回することで、私たちが受け入れられる政府に交替する方法を事前に講じておく必要がある」
バーガー大使は「もし、野党が政権を取れば、彼らは軍事革命政府の人々の粛清を躊躇しないだろう」と付言した。
米中央情報局は10月11日、「南韓の選挙の背景に対する特別報告書」を作成、ワシントンの高位関係者に配布した。報告書は、冒頭に韓国政治の本質を正確に要約した。
「今日、韓国政治を支配する雰囲気は、外勢による支配に対して韓国民が展開した粘り強い抵抗と儒教的価値観に対する長い執着から由来したものだ。儒教的価値観は、個人的、家族的な関係をあまりにも重視することで、国家利益に損傷を与える傾向がある。このような伝統からの激しい民族的自尊心と党派性は、韓国人たちを”東洋のアイルランド人”と呼ばれるようにした」   (つづく)


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