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安東市場の店頭に並ぶサバ |
安東は慶尚北道にあり、儒学者・李退渓が開いた陶山書堂や彼の教え子が開いた陶山書院がある。ここで、多くの子供たちや青年たちが学問を学び、国家公務員試験となる科挙(朝鮮時代の試験制度)を受けた。さらに、市内に残る河回村は儒学者・柳雲龍と成龍兄弟を輩出した豊山柳氏一族が作った村があり、農村両班(農村に暮らす貴族階級)の暮らした住居をそのままに受け継ぐ同族集落として現在に続いている。
著名な儒学者を輩出した安東を何度か訪れるうちに、興味は安東ならではの食文化へと広がった。まずは市場へ。そこで初めて安東に伝わる祭祀と食べ物を知り、儒教精神がどんなふうに受け継がれてきたのかを体験できた。
安東駅の近くにある安東中央新市場で塩漬けのサバを売る店が並んでいた。海のないこの地方で「サバ?」と不思議に思った。さらに市場をあれこれ歩いてみると、これまたタコの店が並ぶ一角がある。「海がないから海産物を扱っているのだろう。それにしてもサバだけ、タコだけ?どういうことなのだろう」疑問がわいた。これは聞かずにはいられない。
「サバの専門店ですか」と聞いてみた。「昔からサバは祭祀に欠かせないものだから」と笑いながら店主が話し出した。「昔は貧しかったから、法事や祭祀に海の物を供えたいけど高い魚は手が出ないから安く手に入るサバを塩漬けにして使ったらしい。それがずっと続いていて今では安東の名物になって」と、教えてもらった。祭祀から生まれた工夫がいつしか食文化につながったようだ。納得しながらもう一度、タコの店へと向かった。何軒かの店がある中で笑顔が素敵な女将さんらしき人を発見。近づいて行くと「日本人?どこから来たの?東京?」と矢継ぎ早に片言の日本語で話しかけてきた。「嬉しい!」下手な韓国語と日本語で「タコだけの店?」と聞いてみると、「タコのことを文魚と書くの。儒学の盛んな所だから文という文字が付くタコは、儒学が盛んだったため学問と密接だと考えるようになったようでね。それで来客や祭祀に使うようになったの。そうそう、大事な事がもうひとつあってね。タコには墨があるでしょ。それも学問には必要なもの。と、いうことで朝鮮時代の両班の家ではタコが祭祀や来客をもてなす食べ物となったのね。柔らかいから味見をして。東京まで持って行かなくてもい
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タルチュム祭り。先祖の霊を供養する法事は大切な行事。長幼の序は日々の生活にしっかりと根差す儒教の精神(写真=韓国観光公社) |
いから」と笑いながら、一口サイズのタコをすすめてくれた。ほどよい塩気と噛み応えがありながらやわらかい、そのまま酒の肴になるほど。塩漬けのサバとタコの話を聞くのに夢中になってしまい、ランチで行こうとした安東チムタクの店がわからなくなってしまった。タコの店の女将さんが「チムタクは安東旧市場にいっぱいあるからそこへ行ってみて」と教えてくれた。そして、「鶏肉に、この地でとれるジャガイモをたっぷりと使っているから。貧しかった時代に鶏肉なら手軽に手に入るし、栄養満点ということでね。唐辛子が入っているから辛いけど甘辛だから日本人にも合うと思う。辛い、と思ったらナムルを食べると落ち着くから」と教えてくれた。旧市場に着くやいなやチムタクの店へ直行した。テーブルに熱々のチムタクと様々な小皿料理(バンチャン)がぎっしりと並んだ。まずは熱々のチムタクに手をのばす。そこに店の人がやってきて、「辛いから、少しずつ食べてみて」とアドバイスをしてくれた。甘辛の辛さが際立つご当地料理を、サバとタコの話をしながら「辛い、辛い」と言いながら箸は止まらなかった。
儒教の里に受け継がれた食の知恵。海がない地方だからこそ生まれたものには訳があった。塩サバもタコも、そしてチムタクにも人々の知恵があり、健康を願う工夫と人を敬う精神が宿っていた。儒教の里と言われる安東の日常を、市場で体験できた。毎年、秋に行われるタルチュム祭りに今年は行くこともできないが、食卓にサバの焼き魚を用意しよう。