キスン便り(第26回) 韓国と日本の相違11

日付: 2020年10月14日 00時00分

 韓国の財閥の会長が私と追加の契約をして、通訳あるいはコンサルタントとして使うのであれば、私も同意したことでしょう。しかし会長は安い顧問料のまま、私を自分の従業員としてこき使おうとしていました。子会社の部長は在日でした。それで私は、
「あなたも在日なら、会長がどれだけ失礼なことをしているか、わかるでしょう? 申し訳ありませんが、今後もこういうことが続くでしょうから、契約は解除させて頂きます」
すると在日の部長は渋々答えました。
「引き留めたいけれど、引き留められないですね」
韓国人の会長には、対等という観念がありません。家族間の関係を示す韓国語にそのようなものがないのですから、叩き上げで大きくなった人にはなくて当然でしょう。しかし私が駐在員をしていた時の周囲のインテリは、ほぼ全員が対等が何かを知っている人たちでした。ある会社に日本人の駐在員を訪ねて行ったとき、たまたま留守でしたが、そこの社長と思われる韓国人が実に対等に接してくれて驚いたことがあります。普通の韓国人なら「ネガ ヌグンデ」お前はなんぼのもんじゃ、という表情や態度で接するのですが、その韓国人は実に紳士的でした。偏見だと知った上で書きますが、日本人みたいな人だと思いました。韓国人で対等を知っている人は、そうですね、これも5%ぐらいですかね。世界中どこに出しても恥ずかしくない韓国人というのも5%はいます。
しかしながら普通の韓国人は、常に上か下かです。相手との関係が上下関係でしか成り立たない人たちですから、中国と比較したときは自分たちが下と考えますが、日本に対すると、自分たちの方が上だと考えます。対等という言葉は知っていても、対等の関係とはどういうものか、ということを知りません。それで韓国は常に自分たちを上に置こうとして汲々とします。
韓国の親しい会計士が独立して暫くして会ったことがあります。彼は顧問契約書に「顧問は従業員ではない」という一文を必ず入れる、といっていました。そうじゃないと韓国人の経営者は顧問を従業員のようにあしらい、こき使おうとするからだ、というのでした。これも相手を上か下かで括ろうとする文化の弊害です。対等の関係というものが分からないのです。自分の会社の従業員ではない、外部の専門職の者に対して、対等の関係で接することが出来ないというのは問題です。今はそんな経営者たちの次の世代が経営者になっています。多くはアメリカで教育を受けています。だから親の世代ほどではないでしょう。しかし韓国社会の無意識は、常に上か下かです。韓国人の無意識は日本と対等なんて許せません。自分たちの方が上でないと気が済まないのです。
江戸時代に朝鮮通信使の通訳をした雨森芳州は信義による外交を説きましたが、それは私が思うにお互いが対等でないとできないことです。韓国の外交官クラスなら当然そう言うことは知っていますが、しかし庶民は上か下かでしか判断できません。日本に対しては勝ちか負けかです。ウィンウィンというのを良く理解できないようです。
日本は歴史の変わり目で狂います。秀吉が朝鮮を侵略したのは彼自身の誇大妄想もあったと思いますが、膨大な数の軍人をリストラするためだったからだろうと思っています。失業者対策です。侵略がうまく行けばリストラ対象の人間に食い扶持を与えられるし、うまく行かなければ、それこそ言葉通りに彼らの首を切ることができます。秀吉は戦争がない平和な時代に向けて朝鮮に戦争を仕掛けました。天下統一まで必要だった軍人は、統一がなされると邪魔者になります。歴史の曲がり角で日本はリストラという失業者対策のストレスのために狂ってしまいました。

 李起昇 小説家、公認会計士。著書に、小説『チンダルレ』『鬼神たちの祝祭』、古代史研究書『日本は韓国だったのか』(いずれもフィールドワイ刊)がある。


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