韓国スローフード探訪39 薬食同源は風土とともに

学生の軽食や漁師メシ「忠武キムパプ」
日付: 2020年10月07日 00時00分

 キムパプ(キンパ)は韓国式海苔巻きのこと。日韓併合の時代に日本の海苔巻きが伝わり、韓国式の海苔巻きが出来たとされている。大きな特徴は酢飯を使わず、具材に生もの(魚介類)を入れない。そしてゴマ油が使われている。
90年代後半から2000年初期まで地方の取材は、ソウルや釜山から高速バスで訪れることが多かった。チケットを買った後に売店でアルミ箔に包まれたキムパプとバナナジュースを買って乗車するのがなによりの楽しみで、この習慣は今も続いている。「わざわざここで買わなくてもサービスエリアがあるのに」と韓国人のスタッフはやや不機嫌に。確かにサービスエリアや列車のターミナル駅にはオシャレなカフェも増え、キムパプを買って乗車する必要もないのだが、なかなかやめられない。
色とりどりのキムパプ
 15年前、ソウルの名門女子大2校の協力をいただき、「就活」「女性の活躍の場」「アジアの中の韓国」など多岐にわたる調査を行い、それらを記事にまとめた時のこと。対象とした1校がある城北地区を訪れ、2時間ほど教授同席の上で10人の学生の考えを訊いた。驚いたのは学生たちの勉強に費やす時間の多さだった。「では、これで」と、お礼を述べて帰ろうとした時に一人の学生が「校門の近くにキムパプの店をやっているおばさんに会って行ってください」「おばさんは長い間、学生を見ているので、女子大生の変化もわかっていると思うから」と。キムパプの店と聞いて緊張が解けたように「はい。寄ってみます」と即答しキャンパスを後にした。校門を出て1~2分のところに店があった。さっそく中へ。「日本人ですか。大学に来たのですか」と矢継ぎ早に韓国語と簡単な日本語で質問をしてきた。いきさつを話しながらキムパプを注文し、その場でいただき始めると店主のおばさんは「店を始めて長いけど、続けられたのは女子大生の成長を見るのが嬉しいから。高速バスで地方から通学している子も多く、朝が早いから食事をとらず眠い目をこすりながら家を出てくるんだろうね。バスではほとんどの学生が睡眠状態みたいで。授業の前にここでキムパプを食べて行くんですよ。そういう学生を応援したくてね。学生を見ていると時流でファッションは変わっても一生懸命さは変わらないね。真面目な学生が多い大学ですよ」と話す。3年前、おばさんの店があった一帯は近代的な建物になった。キムパプの店は見当たらなかったが、カフェに入るとキムパプもあった。女子大生の集う姿も。嬉しかった。
慶尚南道の統営へ行った。漁業が盛んなこの街は忠武キムパプの発祥の地としても知られている。その昔、漁に出る夫に仕事をしながらでも手軽に食べられるご飯はないかと、考えた妻がいた。漁をしているとご飯を食べることができず、ついつい空腹を酒で紛らわせていた夫の健康を心配してのこと。そこで思いついたのが、暑い日でもご飯がダメにならないようにと具を入れず、ご飯だけを海苔で巻き、甘辛で酸味のある甲イカ(一夜干しのイカを使う)の和え物をおかずとして持たせたという。忠武とは土地の名前。このシンプルなキムパプとイカの和え物のセットは、食欲を増し腹持ちもいいと周囲に広まり、やがて全国に広まったという。
市内に到着し、キムパプの店を探そうとするやいなや目の前にあった。発祥地ならではと感激しながら店へ。午後4時という半端な時間で席はガラガラだった。店の人も休憩らしいが客も2人ほどいた。「そうそうソウルで見たのと同じ」と思っているところに、奥からキムパプセット2人前を持った店の人がやってきてテーブルに置いた。「えっ」。どうやらメニューはこれだけ。忙しい時間が多く、客が入ってきたら「一人前」というのが当たり前と。本場の味はやはり違う。一夜干しをしたイカに辛味、甘味、酸味がじっくりと馴染んでいる。口の中が甘辛酸っぱい状態になった時に、ご飯を海苔で巻いただけの細巻きを口に運ぶとご飯の甘味と海苔の風味が増してくる。シンプルさゆえの美味しさとはこのことなのだ。
キムパプは思いやりいっぱいの食べ物。韓国の食べ物にはそれがある。

 新見寿美江 編集者。著書に『韓国陶磁器めぐり』『韓国食めぐり』(JTB刊)などがある。


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