大韓民国の建国史(203)革命同志の内紛に失望し民政に不参を宣言した朴正煕

日付: 2020年07月29日 00時00分

 共和党結成発起委員会は1月27日、金鍾泌と反金鍾泌勢力の中心の金東河最高委員の辞任を同時に差し戻すと決定した。結党作業は再び金鍾泌の指揮で進められた。共和党創党発起人大会は2月2日、創党準備委員会を開き、委員長に金鍾泌、副委員長に鄭求瑛弁護士を推戴した。共和党は、全国地区党131の創党準備大会を始めた。だが、事情は複雑だった。
金鍾泌は2月8日、「共和党は26日、朴正煕議長を大統領候補に指名するだろう」と朴議長の大統領選挙出馬を既成事実化した。一方、バーガー駐韓米国大使はその日、金鍾泌と会った内容を国務省に報告した。
報告書によれば、金鍾泌は「朴正煕議長は大いに失望しており、大統領選挙に出馬しようとしない。私は考えを変えるように説得している。私も政治から手を引き引退するつもりだ」と語ったという。革命勢力の内紛が朴正煕を失望させたのだ。
最高会議公報室長の李厚洛は11日夜、朴議長の大統領出馬はまだ決定していないと言った。朴炳權国防長官は2月13日、陸、海、空軍参謀総長と海兵隊司令官を同行して朴正煕議長を訪ね、金鍾泌の越権に対する軍部の不満を伝え、金鍾泌の公職辞任と外遊を建議した。朴正煕は軍部の意見をその場で金鍾泌に伝え、一線から退くように言った。金鍾泌はあっさりと同意した。
朝鮮日報2月14日付け朝刊は、「朴正煕議長が昨夜、金鍾泌委員長を呼び午前2時まで要談した」「朴議長は、共和党が自分を大統領候補に指名しても受け入れないと心を定めたと見られる」と報道した。
革命主体勢力の内紛と、野党やマスコミの攻撃のため心労した朴正熙は2月初め頃、金鍾泌に自分の民政への不参加を伝えた。金鍾泌は翻意を促した。しかし、軍政に対する野党の攻撃は続き、最高会議議員たちは続けて金鍾泌の退陣を建議した。
悩んだ朴正煕議長は、側近たちの熟議の末、2月18日、「時局収拾に関する談話」を発表した。朴正煕は与野党の政治家たちに9項目の条件を提示、これを承認すると、自分は民政に参加せず、政治浄化法による政治活動を禁止された全員の政治活動を許容するという内容だった。
9つの条件は、「次の政権は5・16精神を継承する」「主体勢力は、個人の意思によって、民政に参加することも、軍隊に復帰することもできる」「有能な予備役軍人たちを国が優先的に起用する」「すべての政党は中傷謀略を止揚、政策をもって紳士競争で、国民の信任を問う」などだった。朴正煕は、すべての政党に対し、2月23日までに回答することを要求した。
金鍾泌は2月20日の午後、一切の公職から退くと発表した。朴正煕議長は2月21日、金在春最高委員を中央情報部長に任命した。金在春報部長は、直ちに金鍾泌が関連したと言われる「4大疑惑事件」の捜査に着手した。就任翌日、金鍾泌と同期の陸士8期中心の情報部の幹部たちも解任、転補した。 4大疑惑事件とは、証券波動事件、ウォーカーヒル事件、セナラ自動車事件、スロットマシン事件だ。4大疑惑事件が浮上するや金鍾泌は外遊に出る。
金鍾泌は共和党が結党の1日前の25日午後、東京行きの航空便で出国した。金鍾泌は自らの要求で巡回大使職名の外交官旅券を所持し補佐官と通訳を同行した。金鍾泌は出国の前に記者会見で「今回の旅は、私の希望が半分、外部の勧誘が半分」と言った。
(つづく)


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