大韓民国の建国史(197)「軍事革命を国民革命に」と使命感に燃えた人材たち

日付: 2020年06月10日 00時00分

 金鍾泌情報部長は素っ気なく答えたという。
「新しい政党を組織しようとしたらお金がかかります。政党を作るのに国庫金を使うわけにはいかないではありませんか。それで、証券市場から調達しました。元々、証券市場には投機屋が集まるではありませんか。儲かる者もいれば損をする者もいるものです。こういう方法は、第2次世界大戦中、米CIAが足りない工作費を補充する方法で使いましたが、私たちも真似して見ました」
金潤根最高委員は、証券波動の被害がいくらかがわからなかったため、反論ができなかったという。1963年3月28日、米ホワイトハウスの安保会議が、ケネディ大統領に提出した韓国情勢報告書には「金鍾泌が韓国史上最大規模の証券操作を通じて2000万ないし3000万ドルを稼いだ」と書いてあった。この証券波動の中心人物である情報部行政官の康誠元も「あの時、約20億ウォンを稼いで再建同志会の組織に使った」と証言した。天文学的な資金と中央情報部が組織を指揮したから、有能な人々を集めるのは難しくなかったという。
情報部は、集めた人々をソウル鍾路区益善洞にあった春秋莊という料亭の建物で合宿させ教育したという。教育の進行を担当した尹天柱高麗大学教授はこう証言する。
「後に共和党の事務局要員となる彼らはほとんど情報部がリクルートしました。清廉な人物たちを探したため教授、教師、公務員が多かったです。自発的に来なかった人々もいましたが、素朴で誠実な人々をよくも見つけたという気がしました。教育は1期20~30人ずつ1週間でした。私は政治行動論を講義、韓泰淵、文鴻柱、李鍾極など学者たちが講師でした。
教育内容の核心は、5・16革命の理念を継承し、どうすれば祖国近代化を成し遂げるのか。その方法論としてどうすればボスや派閥中心の私党ではなく、国益中心の公党を作るのかでした。二元組織と言われましたが。われわれは、英国保守党をモデルとしました。党が決心した路線に従って、国会議員が国会で活動するようにコントロールしてこそ、国家利益がかなえられると考え、そうするためには事務局が強力でなければならないという結論に至りました。事前組織と言いますが、厳密に言えば、事務局の事前組織で、事務局要員は国会議員に出馬できないとなっていました」
再建同志会組織の実務責任者の康誠元は、将校として米国で企画制度を勉強したことがあった。彼は同僚の鄭智元少領(中央情報部次長の補佐官)と一緒に事前組織を実質的に主導した。鄭少領も企画将校とし有能と知られた。韓国軍が米国で学んだ企画と組織の経験が政党の組織に活用されたのだ。康誠元が作った再建同志会の「組織原理」には、今でも保守の公党が目指すべき内容が含まれていた。
「(1)公共組織の原理‥個人中心や人物に対する忠誠を止揚し、公益に忠誠するようにする(2)点組織の原理‥派閥と系譜を排除、理念を中心に結束する。一切の連携は、党機構を通す(3)核心組織の原理‥選挙の時や平常時の区別なく、継続的に組織活動をする。一線の党員たちは、積極的に社会への参与を通して国民の政治意識を高める。(4)領導権確立の原則‥指導体系を単一化し、運営と管理は、迅速を原則とする(5)汎国民的な組織‥選挙区の利益より全国民的福祉を追求する民族的指導層を形成する」(つづく)


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