ノースコリアンナイト~ある脱北者の物語~31 春窮期の農村動員戦闘

日付: 2020年05月27日 00時00分

 昨年12月から世界中に感染拡大した武漢コロナウイルスは、半年が過ぎた今もまだ完全に収束していない。NHKは23日15時時点で、世界の武漢コロナウイルス感染者は521万3557人、亡くなったのは33万8232人であるという米ジョン・ホプキンス大学の集計を伝えた。そんな中、北朝鮮メディアで金正恩の動向報道がないと、世界が騒いだ。
金正恩だけではなく金氏一族の独裁者たちは、自国民は休みもなく酷使する一方、自分たちは北朝鮮全土に約200カ所の豪華な別荘を作り、休みたい時にはいつまででも遊んでいる。その後どこかに「現地指導」の名目でショーをしながら現れては、偉大なる首領様を演じてきた。その繰り返しで今の悲惨な北朝鮮になったわけである。
普段も便りをもらえない北朝鮮にいる兄弟のことが心配で、コロナ事態のなかで辛い時間が流れている。なんとか生きていて欲しいと虚しく祈りながら、北朝鮮の方角の空を見つめている。国際赤十字日本オフィスに、平壌駐在の傘下事務所を通じて兄弟の安否確認をお願いしたが、にべもなく断られた。
5月の朝晩は、北朝鮮農村部では冬のコートを着るぐらいまだ寒く、早朝5時に田んぼに入ると水の冷たさにすぐ唇が青くなる。農村動員期間中、仕事は「工数」という単位で評価され、日中10時間仕事をすると「1工数」となる。クラス人数分の工数をもらうためには、1日12時間以上は仕事をしないといけなかった。
昼食は、食堂まで行き来する時間を短縮するために食事当番が田んぼまで食事を運んだ。日差しが良い日には1時間のお昼休憩に早く食べ、田んぼ側で少し寝ていた。間違えて土に顔を付けて寝ると、顔の一部の神経が麻痺して、何カ月も苦労する子もいた。夜は電気など灯りがないので、食事などを早く済ませて寝た。雨の日は田んぼや畑の仕事ができないので、桑畑に行って葉っぱを取って蚕にあげた後、洗濯などをしながら休んだ。こんな時にも毎日、思想教育は行われた。また生活総括(自己批判と相互批判)会は1週間に1回必ず行い、お腹が空いて泥棒した件などが明るみに出た際は即時思想闘争会が開かれたが、大体は居眠りをした。
5~6月は春窮期で、都市より農村で食糧事情が悪かった。農村組織=管理委員長たちが国に嘘の収穫量を報告して、軍糧米を出して、幹部たちが横領すると農場員たちは5月から食料がほぼ無かった。泊まった家の食事をたまに見ると、畑で拾った春野菜に米が見えないお粥を食べていた。これが農村の実情だった。宿泊している家の人が、私たちがお腹を空かせているのを知りながら何にも出来ないことをごめんねとずっと謝っていて、こっちも気まずかった。
幹部たちの家には先生たちが泊まっていて、夜中に川でお風呂をして帰る時に、塀を越えてきたお肉の匂いをみんなで精一杯かいだ。
先生たちは、農村動員期間に国から配給された少ない食料にも手を出して、お酒などと交換して着服していた。
教育者の先生たちも大人の幹部たちも、農場の仕事を手伝いに来ている、お腹を空かせている15歳の子どもたちが寝ている時に贅沢三昧をしても、何の恥じらいも感じていなかった。
教育者は革命家だと金日成が言ったので、革命家の権威を彼らは都合よく解釈してよく活用していた。農場の幹部たちは、自分たちが支援を頼んだのではなく、国がしていることなので、自分たちが子どもたちの面倒を見る義務も責任もないと思っていた。
先生たちは昼寝をきちんとしているから農村動員期間後には太ってくるが、子どもたちは顔が日差しで黒くなり痩せていた。お正月の金日成「新年辞」暗記からスタートして、2月の金正日生誕祭から4月の金日成生誕祭などで、精神的にも肉体的にも休む時間もないまま5月から農村動員に駆り出され、疲れがひどく溜まっていた。
(つづく)


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