大韓民国の建国史(193)国土緑化事業とセマウル運動、そして在日韓国人たち

日付: 2020年05月13日 00時00分

 朴正煕大統領は、樹林学者の玄信圭博士が開発した銀水源ポプラの木を1979年、「玄ポプラ」と呼ぶように指示した。この玄ポプラの木は、ニュージーランドの80年代の森林荒廃も救った。ポプラがさび病で荒廃するや、ニュージーランド政府は、さび病に耐性のある玄ポプラを要請した。玄博士は、水原ポプラの自生地だった農村振興庁内の麗岐山の麗岐(Yeogi)という名前を付けて送った。ヨギ(Yeogi)は、ニュージーランドの森林回復に大きく寄与した。
山林庁を設立(67年)した朴正煕大統領の山林緑化への情熱とリーダーシップは神話になった。70年代、セマウル運動と連携した「山林緑化10カ年計画」で山林緑化に拍車がかかった。地域社会や村が前面に出て全住民が山に木を植えた73年から始まった第1次治山緑化10年計画は、30億本ほどの木を植えて、目標を4年繰り上げて78年に終了した。
セマウル運動が始まるや、在日韓国人社会も本国の緑化事業に参加するようになる。在日民団は、朴正煕政府のセマウル運動に呼応して、70年、「新しい心」を植える運動を展開、日本全国の県本部が本国の各地方と姉妹関係を結び、セマウル運動を支援した。山林緑化事業にも積極的に参加、良い苗を本国に寄付する運動も展開された。この「新しい心運動」は、在日民団と本国の絆を決定的に深くするきっかけとなった。
このような動きは、歴史的背景があった。日韓両国が65年に国交を正常化して以降、在日韓国人社会に大きな変化が起こった。元々在日韓国人の98%程度は、南韓出身だ。国交正常化で韓国との往来が急増し、外国人登録上の国籍を「朝鮮」から「韓国」に変える巨大な波が始まったのだ。
国交正常化6年後には、圧倒的に多かった「朝鮮籍」を「韓国籍」が圧倒するようになった。焦った金日成は、民団破壊工作を労働党在日支部(朝総連)に指令、民団内の反韓勢力を動員して民団を混乱に陥れた。このため、民団は敵(反国家団体)と内通した勢力を整理し、日本中の組織体系を再整備することになる。
この混乱の中、在日民団の青年組織だった韓青(在日韓国青年同盟)が反国家勢力の前衛隊になるや、民団は共産主義に汚染された核心分子が率いる「韓青」の代わりに在日韓国青年会を新たに作ることにする。そして、この在日韓国青年会のメンバーが本国のセマウル運動に参加するため74年から植樹日に合わせて本国に入国して植樹行事をすることになる。
朴大統領は、セマウル運動を海外韓国人社会へ拡大するため、在日民団の新しい心運動を積極的に声援した。特に、本国の国土緑化事業に参加に入国する在日韓国青年会のメンバーが、青瓦台の植樹行事を一緒にするように特別に配慮した。このことで、朴正煕大統領と特別な縁を持つようになった人がいる。
2年半前に亡くなった尹隆道さんから生前に聞いた話だ。尹さんは青年時代、民族運動をした。韓日国交正常化のときは屈辱外交と言い、国交正常化に反対活動もしたという。ところが、金日成が、ベトナム戦争への韓国の支援を妨害するため、朴正煕大統領を暗殺する特殊部隊を南に派遣、韓国をゲリラ戦場にしようとするや、尹さんは共産主義と戦うようになる。朝総連の民団乗っ取り工作で始まった民団混乱事態の中、新しく発足した在日韓国青年会の初代中央会長となった人が尹隆道氏だ。(つづく)


閉じる