大韓民国の建国史(191)韓半島の南・北の森林と国土環境の格差は指導者の差

日付: 2020年04月15日 00時00分

 今、韓半島の南と北は、経済力だけではなく、自然環境の保護においても克明な差を見せている。これは体制と指導者の教養とビジョンの差が自然環境まで変えることを物語る文明史の事例だ。
韓半島の自然まで変えたこの歴史は、軍事革命直後から山林緑化に邁進してきた朴正煕大統領と、食糧増産方案として、山の木を切り拓き段々畑を作るように指示した金日成のビジョンの差がもたらした結果だ。朴正煕と金日成はライバルだった。両人はいつも相手を意識した。
同じく日本の植民地だった韓半島で生まれたが、朴正煕は師範学校とエリート軍人の教育を受け、満州大陸と韓半島で戦争を経験し、世界覇権国の米国の軍事制度まで体験。東西の哲学と教養を身につけた革命家・指導者だった。一方、金日成は、正規の高等教育を受けられず、4つの国籍を変えながら、生存のため、ひたすら本能に忠実に行動する荒い馬賊とパルチザン生活をしてきた共産主義者だった。
まず、一つの陸続きの国土環境を南と北がどう開発し管理してきたのか比較してみよう。6・25戦争を経ながら、多くの人口、多くの裸の山野を有する韓国がどのように荒廃した森林を回復したのかを見てみよう。
国土面積の70%が山地で、ほとんどが森林である韓国は、全世界で国土のほとんどが荒廃してのにかかわらず、復元に成功的したほぼ唯一の事例だ。環境分野の世界的著述家である米国のレスター・ブラウン地球政策研究所長は「プランB 2・0」という本で「韓国の山林緑化は世界的な成功作で、韓国が実現したように、われわれも地球を再び青くすることができる」とし「朴正煕の決断が大きな役割を果たした」と指摘した。
国連食糧農業機関(FAO)の統計資料をもって計算すると、2015年の基準で韓国の山地1ヘクタール当たりの木の総量は148・5平方メートルで、320・8平方メートルのドイツや352平方メートルのスイスには及ばないものの、131・2平方メートルの米国を上回っている。山林緑化に努めるのは、森が必要だからだ。山に緑豊かな森林が造成されると、裸の山より30倍の水を保存できるようになる。
国土回復の「元祖」は、前にも触れた通り、建国大統領の李承晩大統領といえる。いくら木を植えても切ってしまえば無駄であることを痛感し、燃料を木材から無煙炭へと変える政策を始めた。李承晩政府の石炭課長だった鄭寅旭は、大統領に呼ばれた。
「燃料がないため、ご飯も炊けない状況で木を切るなと言ってもどうしようもないではないか。(中略)今、われわれが石炭を一生懸命に掘らないと、いつになったら山に木が茂るだろうか。私が何とかして、食料は米国から確保するから、あなたは薪の問題の責任をもって解決しなさい」(裵在洙、『韓国の山林緑化の成功要因』)
韓国の暖房エネルギーにおいて薪の割合は、1950年代には90%を越えたが、90年代に1%に落ちた統計が燃料の転換政策の重要さを物語る。薪から石炭、石油、都市ガスへと燃料を変えられたのは、農村の人口が都市に集中し、経済成長によって所得が増えたからだ。
朴正煕の山林緑化への情熱と強力な指導力は神話になった。61年「森林法」を制定し山林緑化事業が始めたが、成果は上がらなかった。64年西ドイツ訪問のとき朴大統領は、ヨーロッパの豊かな森を見て、韓国の山々が青くなるまで再び欧州の地を踏まないと覚悟を固めたという。
(つづく)


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