ノースコリアンナイト~ある脱北者の物語~27 ウイルスのように蔓延する人権蹂躙と女性蔑視

「北送事業」から61年
日付: 2020年03月25日 00時00分

 日本に来て10年、ようやく築き上げた生活基盤が揺れはじめている。
店舗と韓国語教室は閉めて1カ月が過ぎた。パート先はお客が減ったので、店長から全従業員に勤務時間を減らすよう言われた。子どもたちもアルバイトの時間が減った。日本に来てから間もなく起きた、9年前の東日本大震災の時より状況は悪い。それでも、北朝鮮にいる時よりははるかにマシだ。
イタリアを含め、世界中が毎日大変になっている中で、習近平中国国家主席が今回の新型肺炎について「ウイルスがどこから来たのか明らかにする必要がある」と訴える論文を、3月16日発刊の中国共産党の理論誌に寄稿した。今さら何を言いたいのだろうか。昨年伝染病が発生した時点ですぐに、どこからどうやって発生したかを速やかに調べて対策をしていれば、被害はこれほど拡大しなかったはずだ。責任転嫁したいのだろうか、未だに何が重要かわかっていない。北朝鮮の金正恩もミサイル発射を繰り返し行っている。「偉大なるリーダー」たちの頭の中が本当に理解できない。
魂が抜けた「立派」なイデオロギーやスローガンに酔って、「理性・良心・責任」という人間が生まれ持つ「仁と礼」が破壊され、人々に恐怖を与えてパニックを造成している。日本も政府が「早く収束できるように努める」としているが、すでにそれが飾りであることを知っている市民は、恐怖心からトイレットペーパーを買い占め、マスクに「花粉症」という判子を押している。世界中の虚しい光景がニュースで流れている。
真っ赤なスローガンだらけの北朝鮮の労働党機関紙、労働新聞は3月8日、国際女性デーに際して社説で「わが国は女性の尊厳と地位が最高の境地に達した国だ」と主張した。その「女性にとって最高の国」からの脱出者は80%以上が女性だ。嘘しか言えない金氏一族が可哀想になる。
北朝鮮の大学生は制服着用が決まっていて、貧乏な私はその制服にとても助けられた。2年生までワンピースだったが3年からは上下が別で、夏の制服の上着は白く透けたブラウスだった。北朝鮮では透けた服は禁止だ。透けたブラウスは急な方針変更などではなく、材料の節約で布が薄くなったためだ。白くて薄いので全部透けてしまい、厚いTシャツを下に着なければならず、暑く苦しい夏だった。
新しい制服を着て3日が過ぎ、家に帰ってきてブラウスを見たら、背中に下着の形がなぞって描かれていた。大学からの50分の帰り道で、みんなが私をおかしい目で見ていた理由がわかった。ボールペンの跡が落ちにくかった。翌日、体育の授業から戻ったらまた描いてあった。次の授業は体操着を着たまま受けたので、先生に怒られた。
冷房設備がない教室で冬用の制服を授業中に着ていると、また怒られた。
体育の時間にはブラウスの上に体操着を着た。制服は1枚だけで販売もしていないし、買うお金もなかった。以前からの制服だと卒業した先輩からもらえるけど、新しいデザインの制服なのでもらえるところもなかった。洗剤もよくないからボールペンの跡は洗っても残っていた。しばらく過ぎてまたペンでなぞられた。小さい時からいろいろな仕打ちに慣れていて、いちいち反応すると自分がおかしくなるし、相手も面白がるから無反応でいた。5回目になると薄いナイロンブラウスにはっきり跡が残った。
組織の集まりが多いから、大学全体の生徒や先生たちが見て笑ってこそこそ話していた。
ある日、副担任が恥ずかしくないのかと自分のブラウスをくれた。私は言った。「恥ずかしいです。描いた人たちも恥ずかしいでしょ」
大学のルール上、他の服を着られないことを知りながらも私にブラウスを渡している先生の手も躊躇していた。私だけではなく北朝鮮の女性蔑視は日常だ。
世界一優越な社会主義道徳観を誇示している北朝鮮では、みんなが体制の犠牲者であった。


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