ノースコリアンナイト~ある脱北者の物語~24 鱈のスンデや越冬大根 立春の懐かしい味

日付: 2020年02月13日 00時00分

 旧正月が過ぎると、春の始まりとなる立春が来る。新春にみんなが健康で幸せな時間を過ごせるようにと願う時である。今年は2月4日が立春で、日本では立春の前日である節分に恵方巻きを食べたり鬼の仮装をして「鬼は外、福は内」と声を出しながら豆をまき、年齢分の豆を食べて厄払いをする風習がある。日本に来て最初に豆まきをした時は、まいた豆を拾うのが大変だったが、冬の運動不足と家族がわいわいしながら拾うのも楽しくて毎年やっている。
北朝鮮では立春の朝起きると布団の中で大根を食べ、雪の下で芽が出た山菜を採って冬の野菜不足を補ったり、地域ごとに差はあるが鱈の頭で作ったスンデを食べる。
大根は、前年の秋に越冬用キムチを作るときに一番良い大根を地中に埋め、立春の夜明けに一番年長の人が掘り出して皮を剥き縦に切って食べるのだが、大根の埋め方と保存方法によって大根が凍ったり中に鬆(す)ができて食べられなくなり、その年の運気を予感したりもする。布団から出ないで食べるのも、新年の運気アップと言われた。越冬したこの大根はとても甘くて口に入れた瞬間に全身がスッキリして、高麗人参より身体に良いと言われ、幼い頃は手も歯も冷たくなり嫌だったが、無理に食べさせられた。今は気温も暖かくなったし市場で買って食べる人が多く、1980年代までの味がなくなった。
日本は年中、店頭に野菜があるが北朝鮮は立春に山菜を取ってきて食べる。みんなが1月の忙しさで山に行く時間がなくて、お年寄りには冬の山は危ないし、山に行く許可証を取るのも面倒であきらめることも多い。1990年代からは乱伐で山へ行っても山菜などが採れなくなった。父は風習関連などの準備を自ら担当して、越冬用キムチの白菜から取った外皮を丁寧に手入れして塩漬けしたり、大根の頭の部分を皿に置き水やりして出た芽で山菜の代用とした。日本で、店に行くとキャベツなどの外皮を捨てるのを見ると、父がそれよりはるかにボロボロな葉っぱを丁寧に手入れして塩漬けした仕草を思い出す。
日本海の向こう、東海側地域では屋外の天然冷蔵庫で干してあった鱈の頭に鱈の身とキムチをみじん切りしたものとコメを入れて蒸した「鱈の頭スンデ」を作って食べるのだ。一人半分ずつがやっとで、今は大方の家庭が材料難で殆ど作っていない。
北朝鮮の金氏一族の伝統無視と厳しい環境で風習などを受け継いでいくのは難しく、その中で心を込めて一つ一つを行っていた父との思い出は、とても貴重なものである。前回で述べたように私の家だけの祝いの日が休日になるととても嬉しかったし、外は寒い立春だが、心の中はとても温かく感じた。
父が亡くなってからは兄がたまに材料がそろったら立春の準備をしていた。結婚してからは姑が済州島の風習でしていて実家の立春が思い出され、涙が出る時もあった。
私は今、日本でいくらでも北朝鮮で父がしていた立春を過ごせるけど適当にしている。北朝鮮で苦労している生死もわからない兄弟を思って「贅沢」はやめた。また日々の忙しさなどを言い訳に適当に準備をして心が込もっていない立春を過ごしている。節分の豆まきは店で簡単に買えるのでやっているのだ。昔の人々の知恵と自然との共存と触れ合いの風習は「楽しい、美味しい、懐かしい」だけでは受け継いでいけない事をよく知っていながらも、行動しない自分が嫌になる瞬間もある。
また日本で恵方巻きなどを毎年たくさん廃棄しているのを見ると、心を込めて節分を祝った祖先はどう思うかと、忸怩たる思いに駆られる。祖先に対する尊厳も自然に対する配慮も、コメなどを作る生産者に対する礼儀も自身の人生に対しても全ての中身が薄れていくようで、北朝鮮とは違う違和感と怖さを覚える時がある。(つづく)


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