大韓民国の建国史(183)新生後進国の高度成長を可能にした世界経済環境

日付: 2020年02月13日 00時00分

 世界経済の繁栄を導いたもう一つの要因は自由貿易だった。世界経済が1950年から2000年の間に6・8倍の実質成長をしたと前述したが、同期間の世界貿易はなんと20倍膨張した。つまり、世界貿易の増加が世界経済の成長を牽引したのだ。
世界貿易の急成長は、第2次世界大戦後、米国が中心となって構築した自由貿易体制が重要な役割を果たした。20世紀の前半に世界経済が二度の大戦と大恐慌を経験したのは、大きく見れば、世界経済の安定的システムが欠けていたからだ。この反省から、米国は世界大戦後、国際通貨基金(IMF)を創設した。
各国が出資した共同基金で設立された国際通貨基金は、国際収支の慢性的な赤字で危機に陥っている国々にドルなど国際通貨を融資した。後進国に経済開発資金を提供するため世界銀行(IBRD)も創設された。そして、米国は47年、関税及び貿易に関する一般協定(GATT)という国際協約を発足させた。23カ国で発足したこの協約は、加盟国が相互関税率を引き下げ、どの国も差別せず輸出入の制限をしないなど、自由貿易の一般原則を保った。
ところが、このIMF・GATT体制は、50年代までは順調に動作しなかった。イギリス、フランス、西ドイツ、日本などの主要国の経済が世界大戦によって壊滅的な被害を蒙ったからだ。世界大戦後、米国は世界工業の半分以上を生産した。米国連邦銀行が保有した金は、世界各国の政府が保有する金全体の70%以上だった。この米国を相手に自由貿易ができる国はなかった。各国は、自国の国際収支を防御するため輸入許可制を実施し、ドルの使用を制限するなど貿易制限政策を取った。米国も、国々のそのような政策を容認した。さらに、米国は50年代まで総額640億ドルを世界各国に援助し、各国が米国の工産品を輸入して経済を建設するよう支援した。
米国のこのような対外政策は58年まで続いた。その頃主要な国々は戦争の被害を回復し、米国との自由貿易ができる能力を持つようになった。米国が各国の貿易制限政策を暫定的に容認するというIMF協約の条項も、58年に廃止された。米国の対外援助も大幅に減少した。
西欧6カ国が58年、欧州経済共同体(EEC)を結成した。米国はこの動きに刺激され、世界経済に対する自国の主導権を強化する目的で、自由貿易体制に拍車をかけた。ケネディ大統領の提唱でGATTの第7次ラウンド(多国間交渉)が64年に始まった。その結果、主要国の関税率は平均50%以上引き下げられた。それで世界貿易はさらに急速に成長した。52年から63年間の世界貿易の年平均成長率は7・4%だったが、GATTの第7次ラウンド後の64年からの72年間は11・6%になった。
世界貿易のもっと重要な変化は、輸出入の内訳と交易の構造が変わり出したことだ。従来は、世界の輸出入において農産物、鉱産物、燃料の比重が大きかった。そのため、先進国と後進国間の貿易が重要性を持っていた。40年代まで存続した帝国主義の世界体制は、このような構造の世界貿易において先進国が後進国を支配するためのものだったと言える。
ところが、60年代以降、農産物や鉱産物などの伝統的な交易品の割合が著しく減少した。その代わりに、先進国同士の工業製品の貿易が、世界貿易において益々大きな比重を占めるようになった。
(つづく)


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