前囘のコラムでは、『凍える口』の英譯について觸れたが、實は、歐米で一番最初にこの世に出た翻譯はこのデビュー作の英譯ではなく、遺作『土の悲しみ』の獨譯(Die Trauer der Erde)である。この作品は、1999年に刊行された日本短編獨譯選集「Verfuhrerischer Adlerfarn」(同選集に収められてゐる、吉田知子の短編『迷蕨』の題名が選集の題名となつてゐる)に収録されてゐる。興味ぶかいことに、このアンソロジーに収められてゐる「在日文學」(金鶴泳が自作品を「在日文學」に分類されることを好んでゐたかはともかく)は、この『土の悲しみ』のみであり、他の翻譯作品は、芥川龍之介、田山花袋、川端康成、三島由紀夫、安部公房、唐十郎、大岡昇平、筒井康隆、村上春樹など、日本近現代文學の著名な作家が著した短編である。
小生は、譯者のオットー・プッツ(Otto Putz)になぜ金鶴泳のこの作品を選んだかを訊きたかつたのだが、殘念ながら氏は數年前に他界してしまつてゐる。選集の編集者が寄せた前書きを讀んでも、その選考過程は説明されてゐない。いづれにしても、プッツ氏が『土の悲しみ』を獨譯したのは、編集者や出版社に賴まれたからではなく、ぜひこの作品をといふ氣持ちで自ら翻譯したと推測してゐる。
ドイツと同樣に、古典から現代までの多くの代表的な日本文學作品が翻譯されてゐるフランスでは、金鶴泳の作品はまだ翻譯されてゐない。そもそも佛譯された在日文學作品自體が少なく、フランスにおいては(も?)、在日文學といふジャンルの認知度は低いといへよう。フランス大學出版會の名シリーズ「クセジュ」(大雜把にいふと日本の「新書」に相當)は、1956年より、(La litterature japonaise)『日本文學』を刊行してゐるのだが、約120頁に亙るこの通史に在日文學についての記述が初めて記載されたのは、2008年の新版においてである。同新版は「差別されているマイノリティー―とりわけ今でも差別を受けている、戦前に日本に定住した朝鮮人の子孫―の作家たちの存在感がいっそう高まっている」と指摘した上で、柳美里と梁石日の名前と代表作を擧げてゐるに留まつてゐる。因みに2018年の第3版においても、この在日文學に關する記述は一語も變はつてゐない。
柳美里の作品は、氏が芥川賞を受賞した翌年の1997年に『フルハウス』と『もやし』を皮切りに、『水辺のゆりかご』『ゴールドラッシュ』『石に泳ぐ魚』『JR上野駅公園口』が次から次へとフランス語に譯された。その他に金石範の『鴉の死』が2000年に、そして梁石日の『血と骨』が2011年に―つまり小説が映畫化された後に(佛譯の表紙の3分の2は、北野武の肖像で占められてゐる)―出版された。所謂在日文學は、いまだにこの3人の作品しかフランス語では讀めないのが現状である。
佛譯が決して多いとはいへないものの、フランスで在日文學を専門とする研究者もをり、2012年に下境真由美(現在、オルレアン大學准教授)と吉田安岐(同、パリ第7大學講師)によつて立ち上げられた、「在日文學を讀む會」が存在してゐる。小生も參加させて貰つたことがあるが、同會は、參加者が定期的にパリに集まり、毎囘一人の作家の一點の作品を原文で讀み、議論するといふ形成をとつてゐる。
これまで扱はれた作品は、金石範の『鴉の死』、金史良の『光の中に』、張赫宙の『岩本志願兵』、金達寿の『矢の津峠』、李良枝の『ナビ・タリョン』と『刻』、金真須美の『メソッド』、鄭承博の『裸の捕虜』である。
日本語を理解できる人に限られてはゐるが、敢へて在日文學を讀み、議論する場の存在自體が貴重である。いつかこの會で金鶴泳の『あるこーるらんぷ』の話をしたい。
<この文章は旧仮名遣いです>
アドリアン・カルボネ(Adrien Carbonnet) ルーヴェン大学(KU Leuven)文学部准教授、日本学科長兼韓国学研究所所長。