大韓民国の建国史(181)近代化革命の持続と第3共和国への移行課題

日付: 2020年01月29日 00時00分

 経済と科学に関する感受性と鋭い問題意識を持った朴正煕は革命後、一息つく暇もないほどの混乱と挑戦を乗り越えながら、最高権力者として国家改造の方向と方法に関する戦略を練っていく。朴正煕の革命政府は、国を富強にするため企業家や科学技術者を後援、大企業を多数作るべきだという結論を下し、このビジョンを実践する体制を整備していった。

5・16軍事革命は、国家主義の情熱で武装した将校団が開放路線を選択し、経済開発に成功して、民主福祉国家の基盤を築いた珍しい例だ。新羅の三国統一、大韓民国の建国とともに韓民族史最大の偉業を達成するこの軍事革命は、彼らのビジョンをどう持続させるのかが課題となった。

革命政府は、正当性において憲法的根拠がないため、米国は、民間政府へ速やかに移行するよう、軍事政権に圧力をかけた。革命政府は、1963年まで民間政府へ移行すると約束した。新しい民間政府を構成するための新しい憲法が、62年12月の国民投票で制定された。5回目の憲法改正だ。

60年の4・19学生義挙の後、2回行われた第3次、第4次の憲法改正までは、48年に制定された建国憲法の枠組みはそのままにして、一部の条項を修正する改憲だったが、62年の第5次改憲は、事実上建国憲法の枠を崩し憲法をほぼ新しく制定する改正だった。

新憲法の政府形態は、大統領中心制だった。大統領は国民の直接投票で選出され、任期は4年、1回のみの重任が許された。これで、建国以来、与野党間の最大の争点だった政府の形態が、大統領中心制で決着された。民主党はずっと固守してきた内閣責任制を4・19の後に実践してみたが、完全に失敗した。民主党ももはや内閣責任制に固執しなかった。

大統領中心制が復活する過程で副大統領制は復旧しなかった。その代わり、54年の第3次改憲で廃止された国務総理制が復旧された。国務総理は大統領が欠位か有事のとき職務を遂行し、大統領に国務委員の任免を提請する権限が与えられた。このように新しい憲法に内閣制の要素は少しあったが、大統領が国務総理を任命する際、国会の同意は要らなかった。

新憲法では大統領の権限は、さらに強化された。建国憲法以来、大統領は内憂と外患、天災などの際、公共の安定や秩序を維持し、国家の安全を守るための緊急命令を発する権限を持つ。新憲法は、さらに戦時、事変またはそれに準ずる国家非常事態のときは、大統領が公共の秩序を維持するため戒厳を宣布し、軍兵力を動員することができる権限を認めた。戒厳が宣布されれば、法律で国民の基本権と政府と法院の権限に、一定の制約が加えられる。

第5次改正憲法は、大韓民国の経済体制にも重大な修正を与えた。48年の建国憲法は、混合経済ないし社会主義的経済体制を志向した。しかし新憲法は、「大韓民国の経済秩序は、個人の経済上の自由と創意を尊重することを基本とする」とし、大韓民国が自由市場経済体制であることを明確にした。ただし、「全国民に生活の基本的な需要を満たす社会正義の実現と均衡の取れた国民経済の発展のため、国家は必要な範囲内で、経済に関する規制との調整をすることができる」とした。このような趣旨から、新憲法は労働者が企業の利益を均霑できるようにし、また、運輸、通信、金融などの重要産業を国営または公営とするといった建国憲法の規定なども廃止した。(つづく)


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