【寄稿】「朝鮮学校」教科書の中の在日同胞(前編)

朝総連系コミュニティの拠点
日付: 2020年01月01日 00時00分

寄稿 李修京・東京学芸大学教授

 日本の法務省によると、2019年6月現在における朝鮮籍者数は特別永住者2万8393人、永住者432人、永住者の配偶者7人、定住者101人、日本人配偶者とその子ども42人を合わせた2万8975人だ。そのうち1万9433人が東京・大阪・兵庫・愛知・京都・神奈川・埼玉で暮らしている。もちろん、朝鮮籍を堅持する同胞の中には、民族の分断を認めず、一つの統一国家であることを主張する人もいる。そうした人々を除いた多くは朝総連組織の関係者、または支持者とみられる。

 現在は、かつてのように理念的な参与や対立があった頃とは異なっている。民族という漠然とした枠組みや帰国することのできない祖国、もしくは居住地・日本とは全く異なる体制に懐疑的な人々も増えた。それに伴い日本国籍・韓国国籍を取得する人も増加した。父は朝鮮籍で、母やきょうだいは韓国や日本国籍を取得したという多国籍家庭も増えている。韓国戦争以降、反帝国主義革命論と金日成・金正日体制の維持に向けた朝総連系の絶対的役割などが朝鮮学校民族教育に多分に内包されていた。現在は朝鮮籍者の人口から推測できるように、国家体制や絶対偶像的思想教育は下火になっている。

朝鮮学校の各種教科書
 日朝国交正常化には至らないものの、在日朝鮮籍者のほとんどは解放前から居住していた特別永住者、または永住者の子孫にあたる。解放直後、同胞たちは在日朝鮮人連盟(朝連)が運営する国語講習所などの民族教育運動で全国的に勢力を拡げていった。北に傾倒する朝連は韓国系民団と袂を分かち、思想的に対立せざるを得なかった。
朝連解体後の1955年、北から莫大な資金援助を受けて結成した朝総連は事実上、北の支配体制下に収まることになった。先進国である日本で暮らす北の海外公民組織として、朝総連は東西冷戦体制の中で理念対立の前衛部隊となった。そして自由主義陣営側の米国、日本、同族の韓国と対峙し、北の教育指針に従って同胞教育を展開してきた。例えば、歴史教科書には日帝占領期の30年代には金日成の活躍が紹介されているが、「(36年に)金日成元帥は朝鮮革命の性格と動力、階級的力量関係を分析し、共産主義者らの指導下で全民族的な反帝統一戦線を組織できる可能性が成熟したことを指摘。全ての愛国力量を網羅した反日民族統一戦線体から祖国光復会を結成する方針を示した」(64年「歴史」、150頁)など、抗日武装闘争家としての金日成の業績が記述されている。

 日本で成長する子どもたちに韓民族の足跡を紹介するよりも、反米反日という排他的・闘争的な精神武装に臨むことに注力した。こうした内容は、現実との乖離に他ならなかったのである。
北韓政権の支援金も減少し、学校運営が財政的困難に陥る中、59年から始まった北送事業で北に渡った約9万3000人に対する人道的責任の追及、日本人の拉致被害者問題等の政治的懸案という重石が朝総連の首を絞めていった。朝総連は北の体制が硬直化したことで、北韓と国交のない日本社会に追い込まれるようになった。
朝総連はしかし、朝鮮学校を日本社会の排外主義に抗して保護者及び児童たちが結束するコミュニティーの拠点として機能させた。思想教育とハングル教育に注力して組織力を維持させてきた。低月給にもブレない教育信念を応援するため、日本と平壌をつなぐ教員研修が行われ、次世代の言語教育に力を注いだ。その結果、朝鮮学校出身者たちはある程度のウリマルを駆使できる。

 一方、朝鮮学校の在学生徒数は70年代初め4万6000人に達していたが、90年代に入ると急減した。原因は、冷戦の終息と91年の入管特例法にある。特別永住権者の退去要件緩和後に組織離脱者や帰化者が増加したことで朝総連系人口が急減し、就学年齢の子どもも減少した。現在、朝鮮学校は全国に60校、在学生徒数は約6000人だ。
朝鮮学校は現実を直視し、2003年に行われた教育課程改編で教科書を大幅に改訂する。従前の北韓(彼らの表現では”祖国”)重視教育に加え、日本の地域住民としての立場を確立するという現実を教科書に盛り込み始めた。それにより、朝鮮学校の教科書には在日同胞の足跡と活躍、日本社会の構成員としての生活ノウハウなどが詳しく記載されている。

 残念なことに、韓国の教科書には在日同胞に関する記述がほとんどない。つまり、同胞教育の面においては韓国や民団よりも朝総連がはるかに積極的であることを否定できないのだ。
(後編に続く=http://news.onekoreanews.net/detail.php?number=86880&thread=04


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