金鶴泳の作品の多くが、著者の生前にハングルで刊行されてゐたのと對照的に、橫文字での翻譯がこの世に出たのは、著者が他界して數年が經つてからである。英譯についていへば、吃音に惱んでゐる、在日二世の化學研究生の一日を綴つた、『凍える口』の一部が、在日文學研究者のメリッサ・ウェンダー(Melissa L.Wender)の編集による在日文學選集『Into the Light』(ハワイ大學出版會、2011年)に収録されてゐる。因みに、『凍える口』の他には、金史良の『光の中に』、金達寿の『富士のみえる村で』、野口赫宙の『異族の夫』、宗秋月の『我が愛する朝鮮の女たち』と二首の詩「遺言」と「イルム」、李良枝の『刻』、金蒼生の『赤い実』、柳美里の『フルハウス』の英譯が同書に收められてゐるのである。
金鶴泳のデビュー作である『凍える口』(英題名:Frozen Mouth)の譯者、エリース・フォックスワース(Elise Foxworth)氏は、現在オーストラリアのラトローブ大學で教鞭を執つてをり、本コラムを執筆するに當たつてその翻譯の經緯について問ひ合はせたところ、質問に快く答へてくれた。氏が金鶴泳の作品に出會つたのは、日本學の修士課程を修了して、博士論文のテーマについて考へてゐた頃である。「文学が好きで、日本のマイノリティ文学、特に在日文学を研究することによって、紋切り型の日本像とは異なる、陰翳に富んだ戦後日本の全体像を把握する手がかりになるだろうと思った」。そこで背景の異なる三人の金石範、金鶴泳、李恢成の作品を研究することによつて「在日二世作家の内面世界に眼を開こうとした」と囘想してゐる。
フォックスワース氏は、日本滯在中に、丁度その頃在日文學のアンソロジーを編まうとしてゐたウェンダー氏と知り合ひ、在日二世作家の作品を一點譯してほしいと賴まれた。この依賴に應へて『凍える口』を選んだ理由の一つは、「他の在日作家には見られない、民族問題に対する金鶴泳の俯瞰的な考え方」が反映されてゐるからといふのである。氏は譯者前書きの中で、「金鶴泳は、在日同胞の境遇には大いに理解を示してはいるが、彼にとっては、単なる属性に過ぎない、在日という民族性がしばしば人種ナルシシズム、民族絶対主義を正当化する、ただの口実にされていると感じていた」と解釋してゐる。譯者は、著者金鶴泳がこの作品中で「民族性や政治問題からは距離を置き、自己形成に重点を置いている」とし、その一例として「主人公の崔圭植は、民族性や吃音に先立つ、あるいはそれを超える、自我を探し求めている」と述べてゐる。
小説が、どこまでその著者の考へを忠實に反映してゐるかを裏付けることは困難だが、金鶴泳と小説の主人公には重なり合ふ部分が大いにあることは間違ひないだらう。フォックスワース氏は『凍える口』を完譯したが、アンソロジーならではの制限もあり、殘念ながら第一章と第二章のみが收録されてゐる。氏が成し遂げた完譯が、いつか出版されると信じたい。
アドリアン・カルボネ(Adrien Carbonnet) ルーヴェン大学(KU Leuven)文学部准教授、日本学科長兼韓国学研究所所長。