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手にからみついてくる元気なタコ |
統営は釜山から西へバスで約3時間のところにある。韓国唯一の海上公園・閑麗海上国立公園があることでも知られている観光スポット。この公園は統営・閑山島から、西の麗水・梧桐島に及ぶ海域に広がり、深い湾と入り組んだリアス式海岸、そして多数の島々からなっている。この美しい景色を堪能できるのが、統営市内から弥勒山(461メートル)全長1975メートルの統営ケーブルカーからの眺め。
この街はまた、歴史的にも重要な場所として知られている。かつて豊臣秀吉が朝鮮半島に攻め入った際に、朝鮮水軍を勝利に導いた名将・李舜臣が水軍の統制本部(統制営)を置いた。地名・統営の由来だ。昔から複雑な海岸線は敵の侵入を防ぐ役目を果たすと同時に、豊富な魚介類に恵まれた海域としても知られている。
この街を訪れたのは、今から16年ほど前の秋。韓国ドラマ『冬のソナタ』のロケ地となった外島へ足を延ばした時のこと。行きは釜山から船を使い、帰りは統営からバスで帰った時だった。釜山の人から、「帰りは統営でタコ鍋でも食べてきたらいいよ。店もたくさん並んでいるから」と。確かに船着き場の周辺には何軒かの食堂が軒を連ねていた。お腹も空いていたこともあり、おばさんの声に誘われ1軒の店に入った。名物という、ナッチジョンゴル(タコ鍋)を注文した。朝から船に揺られ、さらに残暑が厳しい中、島中を歩き回りクタクタ状態。午後3時過ぎということもあって、店にはのんびりした時間が流れていた。おばさんが小皿の料理を運んできた。ニコニコしながらコンロをセットし「日本から。冬のソナタ。ヨン様」と立て続けに質問してきた。「そうです」と答えると「日本のおばさんたちが最近、多いから」と笑った。「タコ鍋は美容にも身体にもいいから、たくさん食べてキレイになって」と、言いながらタコ、エビ、ムール貝、豆腐、キノコやネギ、ホバクなどの野菜がたっぷりと入った赤い汁の鍋をコンロにセット。味付けはコチュジャンなのだろう。鍋に火が通るまで、小皿料理のキムチやナムル、黒豆、ポテトサラダ、酢漬けのタマネギを食べてみた。「落ちつく」そう思った。「この小皿料理が栄養のバランスを整えている。韓国の食文化はこれがあるからいい」と一人つぶやいていると、店の人がグツグツし始めた鍋を見て、はさみでタコをチョキチョキと食べやすいサイズに切ってくれた。鍋は真っ赤ではあるが、食べてみるとピリ辛味の汁に具材の旨味が絡まったせいだろうか食べやすい。柔らかいタコ、甘味のあるエビ、鍋の旨味を吸収している豆腐。辛いのだが、淡泊な味わい。さらに産地だけあってタコの量も半端ではないのだ。
以来、何度か足を運んでいるうちに食堂をやっているおばさん達と仲良しになった。とうとう今年はおばさんの自宅で、毎日のように食べているというタコ鍋をいただいた。店で出しているのとはやや違い、淡泊な野菜スープ仕立てといった感じの鍋。食べる時は、おばさん特製のタレ(薬念=複合調味料)につける。小さめのタコに数種類の野菜と豆腐を入れるのが定番のようだ。元気なタコが、おばさんの手に絡みついてくるほどで、タコの踊り食いを思い出しながら、食べごろになるのを待った。おばさんは「タコの色が変わったら食べごろだから」とハサミを持って待ち構えている。「そろそろ」と思っていると鍋のタコを次々と切っていき、火を弱火に。「風邪をひかないように沢山、食べて。おかずもあるから」とキッチンにある大きな冷蔵庫から次々と出してきた。作りおきの定番おかずが常にあるのだ。高タンパク質でビタミンB12など、タコの栄養価の高さはいうまでもないが、そこに豆類やキムチなどが加わる。日常の暮らしにしっかりと薬食同源が定着していた。「次も来る時は連絡してね」と。家族で食べているというタコ鍋は、五味を満たす穏やかな味であった。
新見寿美江 編集者。著書に『韓国陶磁器めぐり』『韓国食めぐり』(JTB刊)などがある。