大韓民国の建国史(174)韓国人の生活方式まで変え始めた革命政府の政策

日付: 2019年11月20日 00時00分

1962年4月4日、米国CIAが主管して各情報機関が合同で作成した「韓国の定期展望」という特別情報判断書がある70年までの政治情勢に対する予測だ。CIAの他、国務省や国防省の情報部門および陸・海・空軍の情報部隊や合同参謀本部が参加した。この報告書は、「韓国の政治情勢は軍部と民間部門が激しい葛藤や分派主義に見舞われる。軍部は国政で主導的な役割をするだろう。形式上には民間政府であっても軍部の影響力は圧倒的である。クーデターによる政権交代の可能性もある」と展望した。
「経済の見通しは深刻だが、希望がないわけではない。米国の援助を効果的に使用すれば、経済成長率を多少高めるのは可能だろうが、その成果はうまくやっても遅々として進まないだろう。共産圏が、米国が韓国を防衛すると信じる限り、彼らが韓国を正面攻撃する可能性は低い。したがって、韓国の兵力規模から3分の1を削減しても、北韓の南侵可能性が高くはならないだろう」
この報告書は、韓国の未来をあまりにも暗く見た。朴正熙はこの期間(70年まで)に韓国社会の分派主義を抑え高度経済成長を達成したからだ。この頃、米国の情報機関が韓国情勢分析において最も重要な常数としたのは、歴史的に社会全般に根を下ろしている血縁、地縁、学閥による分派主義だった。米国側は、朴正煕がこのような分派主義を抑え込む肯定役割をしていると評価した。
米国側が朴正煕革命勢力に対して好感を持つようになったのも、以前の政府の分派主義がもたらした非効率や腐敗とは対照的な軍事政府の国益優先の政策のためだったと思われる。軍人たちは経験が不足し急ぎ過ぎだが、私心なしで問題を直視するためいろんな新鮮な発想と解決策が出て、いったん方向さえ決まれば、恐ろしいほと貫く軍隊式が韓国社会を変えていた。大韓住宅営団による麻浦アパート建設がその代表的な事例だ。
主人公は陸軍2軍司令部直属の工兵隊長として革命主体の一人だった陸軍士官学校8期の張東雲中領。彼は革命直後、大韓住宅営団の理事長に任命されるや、職員たちを集めて「評判の悪い人」を放逐する記名投票させた。5回繰り返した投票を集計して追い出す人を定めたのに続き、無記名投票で「尊敬できる人」と「尊敬できない人」を選ぶようにしたという。
このような方式で、1日平均5~7人ずつを依願免職させたという。このように構造改革をしてから、張東雲は61年10月16日、麻浦アパート(マンション)の着工式を行った。10階建ての11棟に1158戸が入居する大規模のマンションを、50億ウォンの予算をかけて建設する、当時としては途方もない計画だった。
この発想は、張東雲が53年、米国で工兵教育を受けていたとき、雑誌で見たヨーロッパのアパート団地の写真の記憶からだった。「当時、イタリアとフランスでは、マーシャルプランによる米国の援助で高層マンションをたくさん建てていました。土地が狭い韓国でも横へのみ広がる連立住宅だけを建てるのではなく、高く建てられるアパートを建てねばならないと思ったのです」
大韓住宅営団理事長の張中領は、外国の雑誌で見た、団地化したアパートをソウルのど真ん中で現実に作ろうとした。麻浦アパートを建てる前もソウルにはアパートが数箇所あったが、入居者の低い所得レベルと管理不十分で「アパート」に貧民窟という印象まで与えるほどだった。(つづく)


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