<あるこーるらんぷ>金鶴泳 飜譯記―第2回 韓譯の序文を讀んで

日付: 2019年11月07日 00時00分

 日本文學を讀むには、原文で讀むか、それとも譯文で讀むかといふ選擇肢がある。譯文で讀むと、どうしても失はれるものがあるため、前者が理想的な選擇である。が、日本語の作品を原文で味はふべく、わざわざ日本語を習得する人は少なからう。そこで翻譯といふ不完全な媒體が、多くの讀者にとつて唯一の選擇となる。不完全ではあるものの、一つの作品が他の言語で出版されると、その讀者層が廣がり、作品の知名度も高まるといふメリットがある。また、一人の作家が國際的に認められるためには、その作品が複數の言語に翻譯されることは不可缺である。1968年の川端康成のノーベル文學賞受賞がその一例である。氏が初めて候補者として檢討されたのは、61年に溯るが、近年公開された文書から、當時川端の作品の翻譯があまりにも少なかつたため、評價が難しいとスウェーデン・アカデミーが氏の受賞を見送つていたことが明らかになつた。(「朝日新聞」2019年1月3日、朝刊)
金鶴泳の場合は、生前、エッセイと小作を皮切りに、多くの作品が韓國語に翻譯され、文藝雜誌に掲載されたのみならず、單行本の形でも出版された。他界した後にも、小説集が何冊か出たが、現在みな絶版になつてゐる。小生の手もとにある『月食』といふ小説集は、當時韓國現代劇作家協會長を務めてゐた河有祥の譯で、藝林出版社から1979年に刊行されたものである。金鶴泳は、丁度この小説集に載せる序文を書いてゐた頃、面識がない譯者に對して「何とはない〈疑惑〉を感ずる」と日記の中に本心を曝してゐた。それでも結局韓譯を許可し、著者序文の中に「本国」においてこの小説集が刊行されるのは「光栄この上ない!」と綴つてゐる。
著者序文に續いて譯者序文があり、河有祥は収録されてゐる「作品は、文學的な意義も大きいが、他方では、在日僑胞の境遇と生活をリアルに描冩したため、その方面を記録した意義も大きいといへる」と評價してゐる。さらに、表紙上の著者の名前の下に「在日僑胞作家」の肩書きが添へられてをり、「著者は今日を生きる60萬の在日韓國人の生活の樣子を告發する」といふ説明があたかも帶であるかの樣に赤地に白抜きで印刷されてゐる。つまり、作品の文學的な價値よりも、在日コリアンの生活實態を記録してゐる點が強調されてゐるのである。
もう一つ興味深い點は、譯者序文の中に描かれてゐる「不運の作家」としての金鶴泳像である。小説集に収録されてゐる『冬の光』と『鑿』を含め、氏の四點の作品は日本で「最も權威ある文學賞」の受賞候補作に擧げられたが、最終的には選ばれなかつた。譯者は、著者が「在日韓國人だからか」と前書きの中で問ひかけてゐるが、この問ひかけは、裏表紙では「韓國人であるがゆゑに毎囘最終審査で落選した」といふ斷言へと變貌する。
作品の價値は、「在日韓國人」といふ作家のアイデンティティーに起因し、落選の理由もまた「在日韓國人」であることに歸結する。在日韓國人であるからこそ、在日同胞がおかれてゐる境遇を見事に記録できたが、それと同時に在日韓國人であるがゆゑに、その賞を決して手にすることができなかつたといふのである。諸刃の劍の様に、「在日韓國人」としてのアイデンティティーは、創作力の源であると同時に、四囘に亙つて落選した原因でもある。そして受賞できなかつたことは、著者と著者が作品を通して一生描きつづけてきた在日朝鮮・韓國人像と重なり、その描冩がいかに苦い現實を反映してゐたかを物語つてゐるだらう。
<この文章は旧仮名遣いで書かれています>

アドリアン・カルボネ(Adrien Carbonnet) 1985年、フランスで生まれる。現在、ルーヴェン大学(KU Leuven)文学部准教授、日本学科長兼韓国学研究所長。


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