会計士の業界は中小零細を除き、ビッグフォーと呼ばれる、大きなグループのネットワークに属しています。私が居た頃はビッグエイトといっていましたが、その後合併があり、4グループに集約されました。グループ内ではオーバーシー(海外)のトレーニング制度があります。私もこれを利用して、韓国の会計事務所で一九九〇年から一九九五年まで五年間働きました。留学時代は学生でしたから韓国の表面しか見えませんでしたが、韓国で働くと、いやはや色々なものが見えます。特に私の場合は数字を扱う仕事ですから、普通の人には見えないようなものまで見えます。私が経験したことの幾つかは追々書いていくつもりです。
さて、私が韓国で働いていたように、韓国人の会計士で日本で働いた人もたくさん居ました。そのうちの一人が日本から戻って来るなり、私に言いました。
「日本に居る間、自分は大きな声を出したことが一度もありませんでした。日本人はこちらが期待した以上の仕事をするので、何も言うことがありません。しかし韓国に戻るや、韓国人は働かないし、約束は守らないし、言い訳ばかりするしで、毎日大声を出して怒鳴りつけています。それで、日本の駐在員は毎日こんな気持ちで暮らしていたのかと初めて分かりました。韓国ってのは、疲れる国ですよ。ほんと」
そう聞いて私は、やっと分かったかと、大笑いしたものです。
日本に研修に行く人に、私は二つのことをアドバイスしていました。ひとつは日本人から家に呼ばれることを期待するな、ということです。韓国人は何かあれば直ぐに知人や友人を自分の家に呼びますが、日本人はまず呼びません。居酒屋で飲む程度です。それは別にあなたが嫌いだからではなく、家が狭いから呼べないのだ、と解説します。韓国の家は普通に100平方メートルはあります。もっと広いところに住んでいる人もたくさん居ます。しかし日本の都会で100平方メートル以上の住宅に住んでいる人は滅多に居ません。だから日本人は誰もあなたを家に招待しないけれど、気にするな、と事前に言っておきます。
次いで、言葉の勉強のためには『サザエさん』を見なさいと言います。『サザエさん』で使われている日本語はお手本となる日本語ばかりです。で、私の忠告を聞いて真面目に『サザエさん』を見た会計士が言いました。
「主題歌で、みんな一緒で良かったね、というのがあるけれど、韓国人は人より良い暮らしがしたいから努力する。しかし日本人は皆と同じになろうと努力する。なぜか?」
私は答えました。韓国で言う人より優れたレベルと、日本の皆と同じレベルというのは、客観的には同程度だと思う。日本人は人並みになり、人様に迷惑を掛けないで仕事ができるようになりたいと努力する。その結果、韓国のトップレベルの仕事を日本では、全員がこなすようになる。日本の物作りはそういう人たちに支えられている。その会計士は一言「日本は凄いね」といいました。
私が居た当時の韓国は無理をしてOECDという先進国グループに加盟しました。シャンパンを早く開けすぎたと揶揄されたものです。私が日本に戻って二年後にIMF危機です。やっぱりな、と思いました。
韓国の会計士はよく私にウリナラはもう日本に追いついただろう、と自慢していましたが、とんでもない勘違いです。日本が知的財産権で輸出超過になったのは、一九九三年か九四年だったと思います。物の輸出ではなく、ノウハウの輸出で黒字になるのに百二十年以上かかりました。しかも多くは海外の子会社からのノウハウ料です。韓国は半分の年数で達成できれば上出来だろうと思います。
李起昇 小説家、公認会計士。著書に、小説『チンダルレ』、古代史研究書『日本は韓国だったのか』(いずれもフィールドワイ刊)がある。